Japan Focusサイトで公開されているジョン・ミッチェルさんの枯葉剤論文、三つ目の翻訳の試みです。
オリジナルのサイトには写真もあります。また、本論の内容は『ジャパン・タイムズ』既出の記事の、拡充版となっていますので、こちらも併せてどうぞ。
Jon Mitchell, 'Agent Orange on Okinawa: Buried Evidence?,' The Asia-Pacific Journal Vol 9, Issue 49 No 2, December 5, 2011.
http://www.japanfocus.org/-Jon-Mitchell/3659
ジョン・ミッチェル「沖縄のエージェント・オレンジ:埋却された証拠?」
人の多く賑わう沖縄の北谷町で、有害な枯葉剤エージェント・オレンジがドラム缶数十本ぶんも埋却された場所を、元米兵が特定した。埋却が疑われるのは、この一帯がまだ米軍のハンビー飛行場の一角であった1969年のことである。1981年に民間利用のため返還されて以後、観光地として再開発され、付近にはレストランやホテル、アパート街、人気のビーチがある。
最近、米海兵隊普天間飛行場、嘉手納基地、キャンプ・シュワブなど在沖米軍基地内でエージェント・オレンジの埋却に関する主張がいくつも出てきている(1)。本論を執筆している今日の時点で、日米両政府はこれら駐留地への環境調査を拒否している。だが、民間地で埋却の疑いが特定されたのは今回が初めてあり、独自のダイオキシン調査実施に道を拓くことになる。
この元兵士によれば、1969年、沖縄から南ヴェトナムへ軍需物資を運ぶアメリカの輸送船(2)が那覇近くのリーフで座礁した。
「[軍は]島中から作業員を那覇港に集めた。私たちが船を岩礁から降ろすのに2-3日を要した。エージェント・オレンジのドラム缶を満載した壊れたコンテナが沢山あった。55ガロン缶は周囲にオレンジの縞模様が描かれていた。こぼれたものもあって、私たちはみなそれを浴びたのだ」。
壊れたドラム缶を取り除く作業の後で、この元兵士は、軍が大きな溝にそれを埋めたのを目撃したという。「長い溝が掘られていた。150フィート以上あっただろう。2機のクレーンがあって、コンテナをつり上げていた。そして、中のドラム缶をすべてその溝に揺すり落としていた。その後、土で覆ったのだ」(3)。
破損していたり好ましくない備蓄品の、この種の処理の方法は在沖の米軍ではめずらしくなかったと、元兵士は説明した。「軍はいつものようにやったのだ」。「本国に送り返すよりも費用がかからないからドラム缶を埋めた。安上がりだからだ」と元兵士は言う。
沖縄における軍用枯葉剤の存在を証言する別の元兵士によれば、那覇港は、エージェント・オレンジを東南アジアに運び出す前に保管しておく主要な場所のひとつだった。ある元作業員は、「全てのヴェトナム戦争は那覇軍港を通過した。弾薬、ライフル、機関銃、クレイモア地雷、タイプCレーション、遺体を入れるバッグ、棺桶、そしてエージェント・オレンジも。オレンジのストライプの付いた缶をあたりで見たことは、昨日のことのように覚えている」。
2011年8月に元兵士が北谷町での埋却について初めて語ったとき、メディアで広く採り上げられたことは、地元住民への警鐘となった(4)。しかしこのとき、元兵士は42年を経過して景観も変化した現在の地図で、溝の正確な位置を特定することができなかった。
そこで、エージェント・オレンジについて開催した11月4日の記者会見場で有志の沖縄住民から提供された1970年のハンビー飛行場の地図が役立った。元兵士はドラム缶が埋却されたと考えられる場所をピンポイントで示した。
「その地図にある長い埠頭を見たときすぐに、エージェント・オレンジが埋められた場所は判った。いつもこの埠頭から釣りに出かけていたからね。これを見れば場所を見つけるのは簡単だった。間違いないと思う」。元米兵はそう語った。
この暴露は、沖縄における枯葉剤使用について十全な調査の実施に向けて東京とワシントンへのプレッシャーを強めるだろう。北谷町長はすでに、10月22日、斎藤勁(さいとうつよし)官房副長官と面会し同町への枯葉剤埋却について再確認を求めている(5)。10月28日には仲井真弘多沖縄県知事が、ジョン・V・ルース駐日大使にこれらの有毒化学物質の疑いについて調査への協力を求めた(6)。
この間にも依然としてペンタゴンは、エージェント・オレンジが沖縄にあったと認めることを拒んでいる。また明らかに、この否認がもたらす怒りを過小評価している。その証拠に、10月には、在日米軍広報部副部長のニール・フィッシャー少佐は、メディアがこの問題をいまだに追い続けているのは「不思議ではない」と書いている。そして彼は、お定まりの否認のことばを続けている。「国防省は、調査の結果、除草剤オレンジが沖縄に搬送されたり、南ヴェトナムへ輸送する除草剤オレンジがその途上で沖縄に立ち寄ったことを示す文書は見つからなかった」。
北谷町に枯葉剤が埋められたと証言した元兵士は、米政府が否定を続けることが、沖縄の市民の健康に危険を及ぼすことになると考えている。
「エージェント・オレンジのせいで私の体はぼろぼろだから、(埋められた)地域に住む住民が心配だ。転居すべきだ。赤ちゃんも診断してもらったほうがいいと思う。あの薬品が住宅地を汚染しているにちがいないからだ。調査の必要がある」。
匿名を条件に語った北谷町役場の職員は、ダイオキシン調査が必要かどうか判断するにはまだ時期尚早だと言う。しかしそのような調査の責任の所在を明言した。
「もし調査が必要ならば、それは日本政府の責任です。軍関係の汚染のばあい、国が調査し浄化するべきです」と職員は語った。
現在まで、東京は沖縄に貯蔵されたと疑われる枯葉剤について、米軍提供区域でのダイオキシン調査への協力を拒否している。11月24日、外務省沖縄事務所は、名護市議会議員が要請した米海兵隊施設のキャンプ・シュワブにおける調査を拒否した(7)。
拒否の理由について説明を求められて、伊従誠(いよりまこと)副所長は、ペンタゴンが基地でエージェント・オレンジ使用を目撃したという元米兵の証言は信用できないと見ていることを語った。伊従によれば疑義の点は二つ、エージェント・オレンジの缶は常にそのほかの薬剤とは分けて貯蔵したこと、枯葉剤との表示が記されていたことであった。
15年にわたってヴェトナムにおけるエージェント・オレンジの影響を調査しているダイオキシンの専門家、ウェイン・ドゥウェニチェク博士は、伊従のこの指摘を「ばかげている」と切り捨てた。
「その役人がなぜそのように言えるのか、理解出来ない。場所が限られていれば、エージェント・オレンジは当然その他の薬剤の横に保管されたのだ。全てのドラム缶に表示があったという指摘だが、ごく最小限の表示しかなかったものもあったのだ」と、ドゥウェニチェクは語った。
伊従の発言を同様に批判したのが、ポール・サットンである。彼は2001年から2004年にかけて、ヴェトナム戦争米退役軍人会でエージェント・オレンジ/ダイオキシン委員会の座長を務めた人物である。「一般的に、除草剤は別々に貯蔵された。だが、場所の問題で、除草剤以外の物資と一緒に貯蔵されたこともある。グアムやヴェトナムの複数の場所でその証拠がある」(8)。
20を超える元兵士の証言が疑わしいと判断する伊従が挙げた三つ目の根拠は、エージェント・オレンジ使用の命令を受けた担当者がひとりもいない、という点だ。ペンタゴンに沖縄のエージェント・オレンジについてはっきりさせようと呼びかける運動の牽引役である退役空軍兵のジョー・シパラは、伊従のこの発言に怒りをあらわにした。
「日本政府が言っているのはいったい何の『命令』なんだ。基地にこの薬品を噴霧するよう言われたが、そのときに命令書などなかったのだ。私たちが食べろ、シャワーを浴びろ、眠れなどと文書で命令されていたとでも言うようなものだ。指揮官はこの除草剤の使用の裁量権を与えられていたのだ」。
沖縄でエージェント・オレンジが埋却されたというこれら最新の証言であるが、北谷町一帯に有毒化学物質が処分されたとの疑惑は、ワシントンにとって初めてのことではない。2002年、不明な物質の入った215本のドラム缶が、元米軍提供区域から発掘されたが、これは、現在、エージェント・オレンジ埋却の疑いがあると元兵士が語った場所から750メートルほどの場所である(9)。
NGO団体「生物多様性市民ネットワーク沖縄」の河村雅美によれば、このときの調査はぞんざいに扱われた。
「沖縄県はドラム缶1本を調査しただけで、その後、500トンもの汚染土壌とともにすべて、産業廃棄物処理施設で焼却処分した。処分前のダイオキシン調査すらしなかったのです」。
このもっとも最近の証言が明るみになったため、河村氏はその215本のドラム缶にも、枯葉剤が含まれていた可能性があるとの不安を抱いている。また、彼女はこの問題の調査について当局が積極的でないことを懸念している。
「私たちは外務省沖縄事務所と沖縄県庁に申し入れをしました。外務省はこの問題に対処したくないようです。沖縄県が行動を起こすべきだと思います。県は沖縄の住民の健康に責任があり、埋却の疑われる場所は基地の外だから、県に可能です。ところが県は後ろ向きです(10)。
「沖縄の住民を怖がらせ不安がらせたくないので、確かな証拠がなければ、試験や調査を実施できない、と言うのです」(11)。
12月中旬、このNGOは沖縄県議会に対し、独自にダイオキシン試験を行うよう求める陳情書を提出する予定だ。
ドゥウェニチェクによれば、そのような環境調査こそが、世間の不安を鎮める唯一の方法である。「もしエージェント・オレンジが40年以上前に埋却されたドラム缶の中身だったとしたら、その周囲の土地はダイオキシン汚染されたままだという、100パーセントの確信がある」。
ドゥウェニチェクは、きちんとした専門家によるダイオキシンの試験を実施する必要を強調している。しかし、土壌のサンプル取得の方法は、実際にはそれほど高度な技術ではないとも語っている。「バックホーを使って、ドラム缶の深さまで掘り起こして、サンプルを取るだけだ。土壌の特定のためにはやや破壊的なやり方かも知れない。だが、汚染について事実かそうでないかをはっきりさせることができる」。
ドゥウェニチェクは、埋却された枯葉剤が、現在の住民の健康にもたらす危険性は最小限だと留保しつつも、「一つ注意しておくべきなのは、埋却場所に近接する帯水層から取水した井戸水があるばあい、エージェント・オレンジあるいはダイオキシンが浸透している可能性がある」と補足した。
今日まで、これらの疑惑の中心となった元米兵は、自分の身元を明らかにしたいとは考えていない。しかし、まもなく事態が変わること約束した。「私は、自分が目撃したハンビーでの出来事を説明するため、連邦議員と面談することになっている。米政府はあまりに長く嘘をつき続けて来た。そろそろ、元米兵と沖縄の人びとのために、真実を明らかにするときだ」。
本論は、『ジャパン・タイムズ』2011年11月30日の初出記事に追記したものである(12)。
ジョン・ミッチェルはウェールズ生まれ、横浜を拠点に執筆活動中。ニューヨーク、カーティス・ブラウン社を代理人とする。沖縄の社会問題について広く日米の出版物で採り上げている。主たる著作については以下で見ることが出来る。 http://www.jonmitchellinjapan.com/
現在、東京工業大学で教鞭を執っている。
出典表記:Jon Mitchell, 'Agent Orange on Okinawa: Buried Evidence?,' The Asia-Pacific Journal Vol 9, Issue 49 No 2, December 5, 2011.
注記
(1)これら埋却処分についての説明は次を参照。Jon Mitchell, “Military defoliants on Okinawa: Agent Orange”, The Asia-Pacific Journal, September 12, 2011.
[日本語訳:ジョン・ミッチェル「沖縄における米軍の枯葉剤:エージェント・オレンジ」 http://www.projectdisagree.org/2011/12/japan-focus-id-3601.html]
(2)フロリダを拠点とする研究者のジョン・オーリンによれば、この船はUSNS LST-600で、那覇近くのカンノービセ環礁で1969年に座礁したものだろうという。当時、現在、情報自由法に基づいてLST-600とその他の引き揚げ船に関する公文書の確保を試みている。
(3)埋却についての全証言は、以下を参照。Jon Mitchell, "Agent Orange buried on Okinawa, vet says/ Ex-serviceman claims U.S. used, dumped Vietnam War defoliant," Japan Times, Saturday, Aug. 13, 2011.
http://www.japantimes.co.jp/text/nn20110813a1.html
[日本語訳:ジョン・ミッチェル「エージェント・オレンジを沖縄で埋却、退役軍人が語る/元兵士は米国がベトナム戦争時の枯葉剤を使用し廃棄したと主張」http://www.projectdisagree.org/2011/08/agent-orange-buried-on-okinawa-vet-says.html]
(4)『琉球新報』と『沖縄タイムス』両紙で一面トップで報道された。
「『枯れ葉剤 北谷に埋めた』元米軍人証言」『琉球新報』2011年8月14日。http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-180512-storytopic-1.html
「『北谷に枯れ葉剤』英字紙報道」『沖縄タイムス』2011年8月14日 09時52分。http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-08-14_22086/
(5)この会談は『琉球新報』で報じられている。
「官房副長官、嘉手納統合を否定 辺野古『厳しい状況』と認識」『琉球新報』2011年10月23日。http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-183130-storytopic-3.html
(6)『沖縄タイムス』での報道。
「軍転協『辺野古は不可能』外相・米大使らに訴え」『沖縄タイムス』2011年10月29日 10時19分。http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-10-29_25350/
(7)この会談についての日本語の詳細は以下。
「枯れ葉剤報道に米側が『疑義』」『沖縄タイムス』2011年11月25日 09時51分。http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-11-25_26500/
(8)沖縄と同様、グアムはヴェトナム戦争期の米軍の重要拠点であり、多くの元兵士が島でエージェント・オレンジ被曝したことを訴えている。2005年以来、VA(退役軍人省)はグアムで起こった枯葉剤被曝に対して7名の元兵士への補償を認可している。これらの支払いにも拘わらず、ペンタゴンは依然として島にこの化学物質があったと認定することを拒んでいる。詳細は、ラルフ・スタントンの「グアムにおけるエージェント・オレンジ」に関する総合的なWebサイトを参照。http://www.guamagentorange.info/
(9)ドラム缶発掘の記事は、たとえば以下。
「米軍基地跡地に廃油ドラム缶/北谷町美浜」『琉球新報』 2002年1月30日。http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-103265-storytopic-86.html
(10)枯葉剤使用について調査を要請する「生物多様性市民ネットワーク沖縄」のニュース報道は、以下で見ることができる。
「環境保護団体 県に枯れ葉剤環境調査求める」QAB『ステーションQ』2011年10月27日11時42分。http://www.qab.co.jp/news/2011102731614.html
(11)住民の不安に加えて、賑わう商業地での有害化学物質の発掘調査に当局は後ろ向きなことを、ドキュメンタリ監督のロバート・エイヴリーは体験している。
「11月4日の記者会見の後に、沖縄防衛局所属の3人の人物と接触した。彼らは、ハンビー飛行場の場所について私が確信を持っている理由を知りたがっていた。私は軍隊にいて、ハンビーに何度も行ったことがあり、8ミリフィルムで撮影もしたので、よく知っているのだと答えた。その場所はすっかり変貌しているのに、どうして確信できるのか、尋ねられた。DVDに収めた1971年の地図はこの地区をはっきりと捉えている。南北を画している入江は今日もそのままの姿で、西にアラハビーチ、東が58号線だ、と言った」。「かれらの質問は情報を求めてのそれというよりは、尋問のように感じられた。無愛想で、態度も尋問そのものだった。沖縄のエージェント・オレンジ問題のDVDを提供した。道義的な理由からハンビーの場所の発見に関心があったのではなく、よく分からない意図を感じた。警官だった自分の経験から、そう言える」。エイヴリーのドキュメンタリ「沖縄のエージェント・オレンジ」については、以下から。[訳者注、リンク不明]
(12)原文は以下で読むことができる。
Jon Mithcell, "Agent Orange buried at beach strip? U.S. veteran fears toxin now beneath popular civilian area," Japan Times, Wednesday, Nov. 30, 2011.
http://www.japantimes.co.jp/text/nn20111130a5.html
[日本語訳:ジョン・ミッチェル「エージェント・オレンジ、ビーチに埋却か?人気の民間地域の足下に毒物の恐れ、元米兵の証言」http://www.projectdisagree.org/2011/11/5.html]
翻訳者注
本論で紹介されている「生物多様性市民ネットワーク沖縄」の枯葉剤に関する行動については、同ネットワークのサイトで詳細を見ることが出来ます。要請文書のほか、さまざまな資料も見ることができます。ぜひ併せて参照して下さい。
※カテゴリ「枯れ葉剤」で記事を表示。http://okinawabd.ti-da.net/c187576.html