skip to main | skip to sidebar

20120730

8月の辺野古・高江カー情報

再開ありがとう!平和な市民の辺野古・高江支援。
<8月 の高江・辺野古行きカー情報>
7日(火)3名、13日(月)3名、16日(木)5名
18日(土)5名  20日(月)3名 
21日(火)3名(高江直行、出発7時30分)
24日(金)3名、25日(土)5名、
28日(火)3名(高江直行、出発7時30分)
※送迎車は那覇インター前バス停を、午前9時に出発、同乗者の希望により高江・辺野古まで行きます。高速内のバス停での途中乗車も可能です。(ただし21日、28日は7時30分出発ご注意ください)
※同乗希望者は、必ず城間(080-1782-6598)または長嶺(090-2712-6486)へ事前に連絡して下さい。
※ 平和市民連絡会では、高江・辺野古への支援行動を行うために那覇からの送迎車を出しています。この行動の定期化のため、カンパを募っています。カンパの宛先は、『(口座番号)は01710-5-88511』『(加入者名)は平和市民連絡会』『通信欄に辺野古・高江行きカンパ』と記入ください。
※高江まで行っていただける運転者も募集しています。月二回でも良いのでご協力いただければ幸いです。可能な方は城間(080-1782-6598)または長嶺(090-2712-6486)までご連絡ください。

20120724

たかえたいへん、たかえのために。座り込み初参加編

表面カリッとしていて風味ある肉汁がジュワーとほおばった口中に広がったところを口溶けトローリとしたソースが包み込む。
カリッ、ジュワー、トローリ、きゃー!
な、チキン南蛮定食。

お昼に食べた後、一日中幸せです。
高江に行く行き帰りの楽しみのひとつ、こちらは東海岸編。探してね。

さて。
楽しいサウンドデモが明けて、来週の県民大会を見据えて、しかし、高江のN4予定地にはユンボが入ったまま、メインゲートからの重機の出入りもある様子。気になることばかりで、気が休まりません。【追記:24日、道路使用許可を取らない暴挙、メインゲート(訓練場の米軍通用門)から工事車両を入れる強引さなど、状況悪化しています。座り込みに沢山の人が駆けつけなければ、工事は進んでしまいます。一人でも多くの人に現場に駆けつけて欲しい。そこで!】

たかえたいへん、たかえのために。7月24日版
<ついに高江に座り込みに初参加するかも!その日が来たら・・・。>

初めて座り込みに行った時、すごーく緊張しました。今でもその時の自分のちぐはくな振る舞いのことをよく覚えています。座り込み経験があっても、初めての場所に行くときはやっぱり同じように緊張します。だから、今回は、だれにでもある「はじめて」向け。

[ココロとカラダの準備]
「まずは短時間の参加」と気楽に行きましょう。なんだかよく判ってないうちは、長期計画を立てない!これ重要。自分のココロで決めたことにしばられて身動き取れない、とはよくあることだけど。遠方から参加すると飛行機代とか割に合わないと思うかもだけど。その時の現場の状況や人の組合せが、自分の気持ちにピタッと来るかどうかなんて、判りません。初めての人は、まず数時間を過ごして、帰る、という計画を推奨します。現場が騒然とすれば後ろ髪引かれる思いもあるけど、大丈夫。次の人がやってくる。また次に来る計画など考えながら元気に「バイバイ!」しましょう。
調子が悪いときは、行かない。便利な場所ではありません。自分の車や地の利もなければなおさら。また、座り込みの充実した時間や人との出会いを過ごすと、結果的に元気スピリットをもらっちゃうんだけれど、癒しを目的に行くところではないように思うぞ。シャキッと元気なときに行きましょう。

[持ち物準備]
●自分の飲み物・食べ物・日焼け・熱中症・虫さされ対策持参で。
-マイ水筒、マイ箸持ってるとステキと思われる。
-余ったものやゴミは持ち帰りキホンで。持参した食糧が余ったからといって置いて帰られても、嬉しくない感じのときもある。
-ハブ、ブヨ、ヌカカ、ハチ、ケムシ、ヤマダニ、等々。「僕らはみんな生きている」系です、ニンゲンがお邪魔させて頂いております
●高江共同店では、ちょっとしたおやつや飲み物の買い物のほか、おそばなどあり。
山の天気は変わりやすい。雨対策も。
●夜は真っ暗です。漫天の星降る夜を体験したいなら懐中電灯持参で。
●自分の荷物は自己管理。
ソフトバンクは電波なし。
●車中泊のばあいは寝袋など。

[交通]
-名護-高江間のバス(73番川田線)は1日3便(名護バスターミナルTEL 0980-52-2504)。終点「高江」(共同店前)下車、県道70号線を北上すること徒歩15分でN4テント到着です。共同店で必要な買い物、トイレなど済ませて出発!
▼名護BT発→高江行き
平日 5:50/ 14:25/ 17:15
土日祝 5:55/ 14:20/ 17:30
▼高江発→名護BT行き
平日 7:05/ 15:45/ 18:45
土日祝 7:15/ 15:40/ 18:55

-座り込みの現場が広範囲に分散しているので、マイカーやレンタカーで相乗り推奨。
-西海岸ルート: 58号北上→大宜見村塩屋湾の大宜見中学、ファミマを過ぎて県道9号を東向け右折(道路標識アリ) 塩屋湾の橋を渡って331号→東海岸側に出たところが東村平良。左折して県道70号、すぐ交番や役場、サンライズ東など。運が良ければSさんに会える、大いに手を振ろう。あとは延々とこの道を北上。川田漁港、種苗センターを過ぎ、大泊橋を渡って、右手に高江共同店が見えたらあと1kmでN4テント到着! 
-東海岸ルート :329号北上→二見(北)(信号機ナシ)から右折してトンネルと陸橋で大浦湾を越える直線コースのバイパスで 331号へ。カヌチャベイ、慶佐次のヒルギ林など通過して東村平良、道なりに直進するとそのまま県道70号に。交番や役場、サンライズ東、Sさんを横目に見ながら。あとは延々とこの道を北上。川田漁港、種苗センターを過ぎ、大泊橋を渡って、右手に高江共同店が見えたらあと1kmでN4テント到着! 
-西海岸ルート最後のコンビニは津波のファミマ。最後の給油所もその近くの津波JA(東給油所、閉鎖のようです)。
-東海岸ルート最後のコンビニは辺野古のファミマ(トイレ、ATMあり)。最後の給油所は、んーっと。。。どこだっけ。なにしろ満タンで!特に早朝・深夜・週末は。


[高江に着いたら]
●N4テントには「当番」と呼ばれている人がいます。「コンニチハ♥」と挨拶して、その日の座り込み状況やトイレの場所など、尋ねて下さい。また自分の予定を話しておくと、その日の座り込み計画を立てやすい。上位下達の指揮系統がないので、現場で即興的につくられる協力関係に、一緒に参加して下さい。
●高江は非暴力直接行動の現場です。ヒボウリョクって?チョクセツコウドウって?その答えは千差万別。まず自分らしいスタイルで、次に隣のあの人はどうかなと「非暴力」を試してみよう。余裕が出て来たら、高江住民の会のみんなはどんな理想を持っているのか、聞いてみるといいかも。
●テレビのニュースやUstream中継ばかり見ていると、怒り心頭・怒髪天ですが、荒々しい生硬な怒りを、そのままぶつけ返すのではなく、咀嚼して、「抗議行動」に昇華・転化するハイテクを、現場で目撃できると思います。昂然と対峙する場面をつくりだす、けれども目の前のこの人は「敵」ではないとの配慮を行き届かせる、そのようなジンブンと経験に満ちた人たちに加わりましょう。
●現場で判らないなと戸惑うことがあったら、まず周囲をよく観察する。「この人信頼できそう!」という人を見つけて質問する。自分の理想のふるまいだと思えるような、お手本にしたいような人の近くに自分の居場所をキープしてみる。ナニゴトモセンダツハアラマホシキコトナリ。
●キツいなコワいなイヤだな、と思ったらサクサク逃げてOK。恐怖を感じるということは、危険を察知するアンテナを持っているということ、とても大切なことだと思います。我慢しないでサクサクっと現場を離れましょう。距離を置いてみましょう。
●どんなカメラに対しても、写されたくないと思ったらそう言ってOK。現場には動画・静止画問わず、カメラが入り乱れています。警察、防衛局、業者のカメラだけでなく、マスコミやネット中継、支援者の不躾な撮影も。「撮らないで」と言いましょう。ということは当然、自分が手にしているカメラが誰かを不快にしているかも。「私を勝手に撮影しないで」と言える現場作りにご協力下さい。
●非暴力直接行動はココロとカラダを使うもの、消耗しきる前に、次の人を信頼して一息つこう!「座り込みのせいで休めない」という気になったら要注意。アナタが居てくれることが、どんなに現場の役に立っているとしても、アナタが無理をしていることを誰も喜ばない。

[アタマの準備]
●お出かけ前に
-現場の最新の様子については高江ブログをチェック  
http://takae.ti-da.net/
-高江座り込みガイド  http://nohelipadtakae.org/files/takae-sit-in-guide2.pdf
行き方MAP、持ち物のヒントなどあり。これらの手書き原稿のパンフレットそれ自体が、どのような人たちがこの直接行動を行っているのかを表現して余りある。
-辺野古浜通信  http://henoko.ti-da.net/ 
座り込みの先輩、辺野古の状況をピッチ走法で伝えるメディア。高江への呼びかけでも大いに助けてくれています。いつも有り難う。
-現状ヘリパッドと建設予定地マップ http://goo.gl/maps/bAbZ
航空写真からいろいろ見えてきます。座っているときは虫の目、航空写真の鳥の目を想像しながら。。。
-東村のお天気=yahooピンポイントお天気 http://weather.yahoo.co.jp/weather/jp/47/9120/47303.html とか、台風情報=ウェザーニュース http://weathernews.jp/typhoon/ とか、JTWC(米海軍のやつ)http://www.usno.navy.mil/JTWC/とか。 








20120723

京都防衛事務所前に「高江」現場出現!

京都の友人から知らせが届いた。

「私たち有志は、日本政府による高江での米軍ヘリパッド(オスプレイパッド)建設強行、辺野古新基地建設の方針、沖縄への基地・軍隊の押しつけ、そしてオスプレイの配備強行に抗議をするため、京都防衛事務所前に座り込みます」と意気軒昂。
「座り込み宣言」も必読。
http://blog.livedoor.jp/noarmydemo/archives/12308204.html 

緊急!★京都防衛事務所前に座り込みます!
■日時: 7月24日(火)~27日(金)11:00~18:00頃(雨天決行)
 ■場所: 京都防衛事務所前 京都市中京区御池通西洞院西入ル石橋町438-1(京都地方合同庁舎)
http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/258151/www.soumu.go.jp/kanku/kinki/kyoto/pdf/kyoto_18_4_s5.pdf
※堀川御池から御池通り北側を東に徒歩数分 ※京都市営地下鉄・烏丸御池駅から徒歩5分、二条城駅から徒歩数分。阪急・烏丸駅から徒歩15分。
■連絡先: 座り込み有志 noarmydemo@gmail.com

※左は西海岸から高江に行く人に、焼き肉龍苑の冷麺は素晴らしいと、伝える画像。

20120721

7月22日無理だよオスプレイ!全員集合@県庁前


たかえたいへん、たかえのために
1歩踏み出すアイディア[7月20日版]は、当然!那覇に現場をつくるココロミ
7月22日(日)17時、県庁前全員集合!
県庁に高江のために抗議するピープルの姿を焼き付けよう!
自分にあったスタイルでのびのび表現する抗議のヨロコビを!
「無理だよ!オスプレイ全員集合」
ネット上いろんなとこで、サインボード案が飛び交っているみたい。ハンドメイドの饗宴、楽しみです。

20120719

なぜN4から? N4予定地とは?

[はじめに]
抗議先、要請先などは以下。
1)内閣、防衛省、防衛局に抗議をお願いします。
*沖縄防衛局 TEL 098-921-8131  FAX 098-921-8168
*防衛省 03-5366-3111  *内閣官房 03-5253-2111

2)県知事、東村村長に工事即時中止・建設反対表明を要請して下さい。
*沖縄県知事公室 TEL:098-866-2460 FAX:098-869-8979
*東村役場 TEL:0980-43-2201 FAX:0980-43-2457

3)県議会の新しい会派の電話とFAX
自由民主党  TEL 098-866-2754   FAX 098-866-2773
社民・護憲ネッ ト TEL 098-866-2702 FAX 098-866-2706
県民ネット TEL 098-866-2697 FAX 098-866-2588
日本共産党 TEL 098-866-2756 FAX 098-866-2577
公明党・県民会議無所属 TEL 098-866-2487 FAX 098-866-2583
沖縄社会大衆党 TEL 098-866-2755 FAX 098-866-6495
改革の会 会議室 TEL 098-866-2584 FAX 098-866-2575

[なぜN4から?]
高江で今日、めちゃくちゃに工事が強行されています。
なぜ、N4から暴力的に着手するのか。
だれのために、なりふり構わず無謀な工事強行なのか。
そして、どうして、みんなで反対して頑張っているのか。
抗議する参考にして下さい。
(この記事ではN4予定地に注目しましたが、言うまでもなく求めているのは6カ所すべてのオスプレイパッド建設中止であり、北部訓練場の全面無条件返還です。強調しないと誤った交渉など始める政治屋などいるからね。)

[N4予定地とは?]
●高江のN4予定地は、高江の集落から一番近い着陸帯です。
通学路、畑に行き交う集落の道、県道70号線の真横にあります。

●高江のN4予定地は、沢山のノグチゲラが目撃されています。
じつは自然度の高い場所なのに、米軍の都合が優先されたことが、「さい塾」の分析で明らかになっています。

●高江のN4予定地は、現在ある着陸帯LZ-17の敷地内にあります。
オスプレイを配備するための米軍環境レビューでは、この場所は写真付きで紹介するほど、北部訓練場のなかでも大きな着陸帯です。
N4工事は、このLZ-17の拡張強化だと見ることが出来ます。

●LZ-17とは、
-複数機のオスプレイが使用可能
-現在の輸送大型ヘリCH46が年間1260回平均使用(非常に頻繁という意味です)
-北部訓練場の、地形を這うように超低空で飛ぶ「地形飛行」訓練の拠点になっていることが、明らかになりました。
-地形飛行(Terrain Flight) 地形や森林に沿って敵に捕捉されないよう地上50-200フィート(15-61メートル)を、80-120ノットで飛行する訓練のことです。
-高江で座り込みした人は、電柱のアタマにあるオレンジのキャップを思い出したり、テントが潰されるほどの低空でのホバリングがあったことを思い出せば、「地形飛行」の実態を理解できるでしょう。

●N4とは、ここに、追加して2つの着陸帯をつくる予定地のことです。オスプレイの使用を予定していると環境レビューに書かれています。

-新しい着陸帯1つについてオスプレイは年平均420回の使用を想定N4にはそれが2基つくられます。)
-オスプレイも地形を這うように超低空飛行する地形飛行訓練を予定しています。
-MV22オスプレイ配備後も、それ以外のヘリも、激しい訓練を継続します。

沖縄BDサイトに原資料へのリンクあり。
オスプレイ配備環境レビュー公開
オスプレイ配備環境レビュー:日本語で読めるもの









SUPPORT TAKAE!

US Military expansion is now crushing the Okinawan lives.
Please say your "NO" voice from your place,
"STOP CONSTRUCTION NOW in TAKAE"
Fax it up! 
Okinawa Defense Bureau: 989218168 
Okinawa Governor's Office: 988698979
Send free fax here: http://www.freefaxbutton.com/japan_+81.php

What's going on in TAKAE,
http://takae.ti-da.net/
For background info in English, check here,
http://okinawaoutreach.blogspot.jp/2011/11/save-takae-voice-your-opposition-to.html





SAVE TAKAE! VOICE NOW!

Okinawa Defense Bureau and constructors attacking Takae, Okinawa now.
Please say your "NO" voice now to...
Okinawa Defense Bureau TEL +81-98-921-8131  FAX +81-98-921-8168

And Citizens of the US,
please tell this fact to your President Obama,
"Expansion of your Military Power is now crushing the lives of the Okinawan People."


Streaming by Ustream

高江>工事をやめて下さいの声を

高江が再び、緊急事態です。
みんな一生懸命に説得しています。
こんなムチャクチャをまかり通してはいけません。みんなで、抗議!抗議!抗議!
高江のために希望を拡散して下さい!

●高江は遠いけど抗議や要請で支援できるというばあいの宛先。
1)内閣、防衛省、防衛局に抗議をお願いします。
*沖縄防衛局 TEL 098-921-8131  FAX 098-921-8168
*防衛省 03-5366-3111  *内閣官房 03-5253-2111

2)県知事、東村村長に工事即時中止・建設反対表明を要請して下さい。
*沖縄県知事公室 TEL:098-866-2460 FAX:098-869-8979
*東村役場 TEL:0980-43-2201 FAX:0980-43-2457

3)県議会の新しい会派の電話とFAX
自由民主党  TEL 098-866-2754   FAX 098-866-2773
社民・護憲ネッ ト TEL 098-866-2702 FAX 098-866-2706
県民ネット TEL 098-866-2697 FAX 098-866-2588
日本共産党 TEL 098-866-2756 FAX 098-866-2577
公明党・県民会議無所属 TEL 098-866-2487 FAX 098-866-2583
沖縄社会大衆党 TEL 098-866-2755 FAX 098-866-6495
改革の会 会議室 TEL 098-866-2584 FAX 098-866-2575

20120712

たかえたいへん、たかえのために。

7月10日夕刻、だしぬけに届いた「高江緊急、助けて」の声に、沢山の反響がtwitter、FaceBookをはじめとするネット世界のなかに渦巻いたのを目撃した。「いいね!」とクリックしてドキドキしながら高江のblogで経過を眺めた人たちが沢山いたんだと思う。 あと一歩。先へ進みたい。でも いきなり座り込みの現場、というのはハードルが高いと感じるかも知れない。仕事や距離や体力やお財布、いろいろと相談しないと人生はままならないから。

だから、「Twitter以上、ダイレクト・アクション未満」な人がすごく沢山、現れたらいいんじゃないかなと思う。そこから、「Twitter、ときどき、デモとか座り込み」な人が、ぽちぽち姿を現すんじゃないか、と思えるから。

 希望を拡散しましょう。

 Tweet、FBで声かけ合って、1歩踏み出すアイディア[7月12日版]

 <現場を創る>
●高江の座り込み現場に参加。
もちろん座り込みの現場に来てほしい。非暴力直接行動はじっさいにやってみるのが一番。沖縄にしかいない素晴らしい森、闘争をのびのびと積み上げて来たしーじゃーたちにも遭遇できます。いずれも天然記念物的絶滅危惧種だ。

●自分の居る場所に現場をつくるのもアリ。  
那覇の人、昼休み県庁広場をプラカード持って歩くのとかどうだろう?

 <抗議は有効> 
●防衛省・防衛局に、怒りを表現するのは、とても大切だし、伝わる。
沖縄防衛局 TEL 098-921-8131  FAX 098-921-8168
防衛省 03-5366-3111
内閣官房 03-5253-2111


 <応援> 
●東村村長と村議会に心を込めて応援を。
東村役場 TEL:0980-43-2201 FAX:0980-43-2457 

高江区がある東村(ひがしそん)の伊集(いじゅ)村長が、「オスプレイが配備されるならば、ヘリパッド建設について、見直しも含めて検討しないといけない」と建設容認を見直す可能性を示した!こりゃー応援するしかないよ!
「あといっぽ踏み出して、工事に反対を表明して下さい。」
「地元の代表として村民の暮らしと世界に誇るべきやんばるを守ろう。」
「世界中がその決断を後押しします。」
「きっとみんな嬉しくって東村に遊びにいっちゃうと思うよー!」

 <緊急の要請> 
県議会議員に :
すぐにでも「高江工事中止決議」を。
「高江の反対決議も掲げて、8月5日の県民大会を迎えたいのです」
会派別の県議リスト(名前をクリックすると個別の連絡先アリ)
http://www2.pref.okinawa.jp/oki/meibo.nsf/Web_Kaiha?OpenView&count=999
会派の連絡先
http://www3.pref.okinawa.jp/site/view/contview.jsp?cateid=194&id=15239&page=1

高江からは今期も陳情書を出しています。軍特委(管轄する議会内の委員会)が17日、今期の本会議は19日までなので、まずはこの短期的目標に賭けてみよう。

国会議員に :
「すぐに工事を中止しなさい」の申し入れを防衛省・防衛局にするよう。
現在の工事内容の具体的な情報開示をするよう求めて下さい。
県選出国会議員の連絡先はここにまとめてある。
http://www.projectdisagree.org/2012/07/blog-post_10.html

<意見を新聞に投書してみる> 
県内2紙の読者の欄に意見を投稿する。
「県民同士が争うのはもうやめよう」と業者や警察も読んでくれることを願って。

どちらも投書は400字、「論壇」は1000字で受け付けてます。
『沖縄タイムス』オピニオン係
opinion@okinawatimes.co.jp FAX 098-860-3195
『琉球新報』オピニオン係
koe@ryukyushimpo.co.jp FAX 098-865-5234

その他のメディアのリストはゆんたく高江がまとめています。すごい。
http://helipad-verybad.org/modules/d3blog/details.php?bid=302


 <言うべきこと書くべきことが見つからないとき、ざっくり目を通すなら・7月12日版> 
QAB 「東村高江、2年前の住民説明会では」2012年7月11日。
http://www.qab.co.jp/news/?p=36617&print=1%3FTB_iframe%3Dtrue
→2010年の住民説明会を振り返っています。高江の座り込みは2007年の当初からすでにオスプレイについて指摘してきたことを改めて確認できる。そして、国が住民2名を民事で起訴したSLAPP訴訟の幕開けは、このわずか3日前のことでした。

 『琉球新報』社説 「高江ヘリ着陸帯、中止に踏み切る時がきた」2012年7月12日。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-193774-storytopic-11.htmlhttp://takae.ti-da.net/e4090532.html
→沖縄では新報もタイムスも、高江の座り込み住民の立場を伝えて来ています。でもついに新報が社説で「工事中止」の意見を明言したことは、重大です。

 目取真さんblog 「県民に挑戦状を突きつける沖縄防衛局」
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/68422defe83183f82495588188332cc8
→高江blogでは人手が足りずキャッチアップできないこともある、そういうばあいにも目取真さんががっちり記録していること多し。

ゆんたくblog 「高江のために、自分の場所でできること。」
http://helipad-verybad.org/modules/d3blog/details.php?bid=330
→東京にいる高江の愛すべきおともだちたち♥

20120711

追伸-----ドゥリートは言う。


追伸-----ドゥリートは言う。
自由は明日のようなものである。それがやってくるのを寝ながら待っている人がいるかと思えば、それを手に入れようと、夜も寝ずに歩んでいる人もいる。
そして、私は次のように言いたい。サパティスタとはすべての歴史が必要としている不眠症患者である。マルコス副司令官著、小林致広訳『ラカンドン密林のドン・ドゥリート:カブト虫が語るサパティスタの寓話』現代企画室2004年。


抵抗権は基本的なものですし、ほかに不服従の権利もそうです。これらは根本的な権利なのです。そしてまた、これこそがクレームすなわち要求というものであり、真の平和主義の根源にあるものなのです。アントニオ・ネグリ『未来派左翼:グローバル民主主義の可能性をさぐる』NHKブックス2008年。


なぜ直接行動を、なぜ坐り込みやデモ行進などを。交渉というもっと良い手段があるではないか」と、あなたがたが問われるのはもっともです。話し合いを要求されるという点では、あなたがたはまったく正しいのです。実に、話し合いこそが直接行動の目的とするところなのです。非暴力直接行動のねらいは、話し合いを絶えず拒んできた地域社会に、どうでも争点と対決せざるをえないような危機感と緊張をつくりだそうとするものです。それは、もはや無視できないように、争点を劇的に盛り上げようというものです。緊張をつくりだすのが非暴力的抵抗者の仕事の一部だといいましたが、これは、かなりショッキングに伝わるかもしれません。しかし、なにを隠しましょう、わたしは、この「緊張」ということばを怖れるものではないのです。わたしは、これまで暴力的緊張には真剣に反対してきました。しかし、ある種の建設的な非暴力的緊張は、事態の進展に必要とされています。 マーティン・ルーサー・キングJr. 「バーミングハムの獄中からの手紙」『黒人はなぜ待てないか』みすず書房1965。



公民的(civique)不服従であって、市民的(civile)不服従ではない–––対応する英語の表現(civil disobedience)をあわてて書き替えることによって、信じこまされているように。実際、問題はたんに権威に反対する個人ではない。むしろ問題は、重大事態に際して、国家への「不服従」を公然と率先して行うことによって、市民権をつくり直すような市民である。 この反抗要求を解放しなければならない。 エティエンヌ・バリバール著、松葉祥一訳『市民権の哲学:民主主義における文化と政治』青土社2000年。



 テレビを見たり、新聞を読んだり、政治家の演説を聞いたりしても、反権力がどこにあるのか、その兆候は、ほとんど見つけることはできません。そういうところで論じている人たちにとって、政治とは権力政治であり、政治的抗争とは権力獲得をめぐる葛藤にすぎないのです。政治的リアリティとは権力のリアリティなのです。そうした人たちの目には反権力は見えません。
 しかし、もっとよく見てみましょう。まわりの世界を見回してみてください。新聞の向こう側、政党の向こう側、労働団体の向こう側を見るのです。そうすれば、闘争が行われている世界が見えてきます。チアパスの自主管理自治体、メキシコ国立自治大学の学生たち、リヴァプールの港湾労働者たち、金融資本の権力に反対する国際的なデモンストレーションの波、移民労働者たちの闘い、民営化に反対する世界中の労働者たちの闘い。読者の皆さんは、自分でリストをつくることができるでしょう。いつでも新しい闘いが起こっているのです。世界全体に、権力の獲得をめざさない闘い、「させる」力に立ち向かう闘いが広がっています。全世界で「ノー」というだけの闘い(たとえばサボタージュ)が広がっていますが、そうした闘いは、「ノー」といっている過程で、自分のことは自分で決定し、世界はどうあるべきかについての別の考え方をはっきりと表明するような闘争形態をとっていくのです。ジョン・ホロウェイ著、大窪一志・四茂野修訳『権力を取らずに世界を変える』同時代社2009年。

ジョン・ミッチェル核報道「沖縄、核兵器、そして『日本の特別な心理的問題』」

ジョン・ミッチェルさん、核配備問題で同日のジャパン・タイムズに掲載されたふたつめの文章。(※ひとつめはこちら

原文は以下。
Jon Mitchell, "Okinawa, Nuclear Weapons and 'Japan's Special Psychological Problem' ," Japan Times, July 8, 2012.



2012年7月8日(日) 
サンディ・タイムアウト 
「沖縄、核兵器、そして『日本の特別な心理的問題』」 
ジョン・ミッチェル 
ジャパンタイムズへの特別寄稿 

たぎる硫黄泉と黒いマグマの岩肌。東京よりも100キロ西に位置する箱根の温泉地が、1961年、日米の核に関する秘密会談にうってつけの黙示録的な風景を用意した。これは、ジョン・F・ケネディ大統領の国務長官ディーン・ラスクと、日本の小坂善太郎外相が出席した会談で、その当時まもなく沖縄に配備されることになる米空軍ミサイル班に影響を及ぼした。また広島・長崎への原爆投下からわずか16年後に行われる米国の核兵器配備をめぐる東京の姿勢を不穏なかたちで垣間見せるものとなった。  

核兵器を搭載した米国のメース・ミサイルの問題は、11月4日箱根観光ホテルでラスクと会ったとき、最初に小坂が切り出した。アメリカは沖縄本島のボロ・ポイントに最初のメースを設置する最終仕上げの段階にあった、その事実を知らなかったのは明らかなようだが、日本の外相はラスクに、沖縄にサイルがあることは可能なかぎり秘密にするよう頼んだ。

「配備を発表すれば日本で激しい反発を生み、政府は国会質問で答弁を余儀なくされる」と、会談の公式記録にある。 

ラスクは小坂の要求をワシントンの上層部に上げることを約束し、どうやらその約束は果たされた。沖縄の第498戦略ミサイル班の隊員だったビル・ホーンは、ロケットを防水布で覆い、搬送も夜間に限るなど、公衆の眼からミサイルを隠すために空軍が採用した方法のことを覚えている。また、隊員が基地の外の仕立て屋で、制服に付ける「戦略ミサイル班」(Tactical Missile Group) の文字を刺繍したパッチを注文したときのことも覚えていた。 


 「すぐに、ロバート・マクナマラ(ケネディの国防長官)がこのパッチを握りつぶしたのです。パッチは処分するよう言われました。私たちはただ「TMG」として知られ、この文字が何を意味しているのか誰も知らないものとされていました。しかしそれは茶番だった。私たちは目立たないように隠されていたのです」。 


 箱根メモとミサイル隊員の説明はワシントンー東京同盟の中心部にある深い緊張の存在を暗示している。日本の世論が圧倒的に反核であったとき、日本の指導者たちは、核兵器に対してせいぜい曖昧な態度を示すか、場合によっては明らかに核支持の側に立っていたのである。 


 戦後、米軍が主導した連合国による日本占領の間、アメリカ当局は、広島・長崎を取り上げたあらゆるメディアの議論を実質的に検閲した。しかし占領期間の終了に伴って1952年には、放射線障害に苦しみ続ける生存者の話題が噴出した。1954年、マーシャル諸島のビキニ環礁で行われた米国の水爆実験のため、太平洋でトロール漁船「第五福竜丸」の乗組員23名が放射線を浴びたとき、世論の怒りはさらに高まった。抗議のため、3千万人の日本人、すなわち人口の3分の1以上が、大気圏核実験の終結を求めて署名をした。 


 しかし、小坂が外相を務めた期間を含め、日本政府は代替わりしても、この選挙民感情を共有しなかった。この国をアジアの共産主義拡大の確実な防壁として留めておくためにCIAのドルが使われており、日本の指導者たちは、戦後の権力回復に躍起となった、そのために核兵器を掴まされたとしても、である。 


 じじつ、小坂がラスクと対面する前日、池田勇人---戦後日本の経済成長の父と呼ばれている---は、日本が自国の核兵器を保有するほうが良いのではないかと、国務長官に大声で問うている。池田は、日本の核配備を米国に秘密裡に求めることが、戦争を放棄した憲法への公然たる挑戦である点は、意に介さなかったようだ。ラスクは池田の要求を気まずいジョークで取り繕った上で、米国はいかなる核拡散にも反対していると説明した。 


 アメリカは自国の支配下にあった沖縄に核兵器を配備することには明らかに躊躇がなかったが、日本人の手にその引き金をゆだねる考えには不快感を示した。 


 日米関係の核問題で先頭に立つ研究者の新原昭治は、2001年メリーランドの米国公文書館で箱根メモを発見した人物である。「日本政府には非常に従属的な考え方がありました。高官たちは、核兵器は日米軍事同盟の守護者だと考えていたようです」と語った。 


 公衆に向けては反核の立場を維持しつつ、閉じた扉の奥では秘密裡に原爆を支持するという東京のふたつの顔は、11月4日の箱根で再び現れた。小坂は米国の太平洋上での大気圏核実験の再開計画について議論した。そのような実験が第五福竜丸事件(そして、一般には知られていないが、同じ時、850隻以上の日本の漁船にも被曝の可能性があった)の致命的な原因であったにもかかわらず、小坂は、日本政府は「軍事上の必要とあれば異論はない」と言っている。それどころか彼は、大気圏爆発が自国の反ソヴィエト感情の促進を押しとどめるのではないかと心配しているようだった。メモにはラスクの応答がはっきりと記録されていた。「米国は日本の特別な心理的問題については、理解し配慮する」。 


 何にもまして、これは日米の核関係の問題の核心に切り込む言葉である。日本のトラウマの根源が米国にあることを理解できなかったラスクの失態は、公衆に対して面目を保つため米国の核政策については知らぬ存ぜぬを演じ続けた日本政府の無神経な偽善的ふるまいとこそ、比類すべきものである。 


 「日本政府は、沖縄の人々に対して責任を負うことを避けるため、沖縄における核の存在を公式に認めたくなかった。この種の考え方が、反戦意識を持つ普通の日本人大衆との間に大きな亀裂を生んだのです」と新原は語る。 


 1960年代を通して、日米政府はどちらも沖縄に核兵器があることを認めなかった。新原の調査によれば、1971年になってはじめて、この島の返還について両国が交渉する際に、アメリカはついにその存在を公的に認めた。なぜ急に正直になったのだろうか。ワシントンは東京に対して、兵器撤去のための数千万ドルを拠出させたかったからだ。 


 1971年、景気の低迷する米国と、経済活況にある日本において、冷戦期の機密保持の要請をしのぐ火急の優先事項は、冷たく硬質の現金ということだろう。



ジョン・ミッチェル核報道「沖縄最初の核ミサイル要員が沈黙を破る」

ジョン・ミッチェルさんが枯れ葉剤問題につづいて再び問題提起に満ちた記事を上梓しました。現在の沖縄で起こっているオスプレイ配備強行ともあらゆる点で相似することがら。歴史を繰り返すわけにはいかないとの思いを新たにしました。敬意を込めて無断翻訳!ご利用下さい。同時掲載のもう一つの文章もあります。

原文は以下。
Jon Mitchell, "Okinawa's First Nuclear Missile Men Break Silence," Japan Times, July 8, 2012.



(page one)


2012年7月8日(日) 
サンディ・タイムアウト
 「沖縄最初の核ミサイル要員が沈黙を破る」
ジョン・ミッチェル ジャパンタイムズへの特別寄稿 

[写真キャプション] 「思わず振り向く光景:1960年代初頭、具志川市内を牽引されるメース・ミサイル。このように開示されることは滅多になかった。提供、チャールズ・ヘドリー」


1962年10月、アメリカ合州国とソヴィエト連邦は、核戦争勃発の瀬戸際にあった。フロリダの水平線のすぐ先、カリブの共産圏キューバにクレムリンが中距離核ミサイルを配備したことを、アメリカの偵察機が発見したときのことである。 

この兵器が米国にもたらした影響は大きかった。攻撃の射程にあったワシントンD.C.も例外ではない。超大国間の2週間に及ぶ対決の火花は、ピュリッツァー賞を受賞した米国史家アーサー・シュレジンジャー・ジュニアをして「人類史上最も危険な瞬間」と言わしめた。 

[写真キャプション] 「恐ろしい秘密:1962年の航空写真が、読谷のボロ・ポイントに設置された最初のメース・ミサイル場を写している。下段:沖縄に配備されたメース・ミサイルのひとつが、オハイオ州デイトンの米空軍博物館に展示されている。提供、ラリー・ジョンストン。」

キューバ・ミサイル危機をさかのぼること6ヶ月、しかし、世界の反対側でもこれに併行してあるドラマが展開していた。米国はロシア人がキューバに配備したのとほぼ同様のミサイルを、もうひとつの小さな島、沖縄に持ち込んだのである。 

配備の事実の全容は未だ公にされていないが、今回初めて、3人の米空軍の核兵器取り扱いの先駆者たちが沈黙を破り、沖縄の秘密のミサイル、バンカー内の生活と、終末論的なレベルの軍の誤算、すなわち非同盟の中国を標的としたことなどを語った。

ジョン・ボードン、ラリー・ヘイヴマン、ビル・ホーンは三人とも第二次世界大戦初期に生まれたが、米空軍への入隊動機はそれぞれ異なる。軍の伝統に深く染められた家系出身のボードンは愛国心から入隊した。実験技師のヘイヴマンは空軍を、家族を養う収入を得るための手段として見ていた。ホーンにとって軍隊は、貧しいウェスト・ヴァージニアの生活から抜け出す道を提供するものだった。「それに制服の色も好きだったよ」と彼は語っている。

空軍入隊直後、この異なる背景を持つ3名は、第498戦略ミサイル班 ( the 498th Tactical Missile Group) に配属され、コロラド州ローリー空軍基地に送られた。そこで、自国の核兵器廠にある最新兵器を初めて目撃した。TM-76メースである。第二次大戦中、ドイツ軍が英国に雨と降らせたV-1「ドゥードゥルバグ(アリ地獄、バズ爆弾)」ロケットの後継で全長13メートルのメース・ミサイルは重さ8トン、1基50万ドルの費用をかけて製造された。ミサイル内に取り付けられた1.1メガトンの核弾頭は、広島に投下された爆弾の75倍以上の破壊力で半径5キロ圏内のものをすべて壊滅させ、20階建てのビルに相当する爆破穴を開け、その先数十年に及んで土地を放射線に晒すものだった。

「そんな恐ろしい兵器にしては、見た目はぱっとしないものだった」とホーンは想起する。「羽根付きの銀色ホットドッグみたいだと思った」。 

ローリーでは、新規採用者は7名ごとに分けられ、ミサイルのエンジン、誘導システム、核の搭載など集中的に訓練を受けた。6ヶ月の後には、新卒「ミサイラー」("missileers" ミサイル撃ち)たちは戦闘地へ派遣される準備が出来ている状態だった。それは東ドイツがベルリンの壁建設に着手したばかりのころで、行き先はヨーロッパだと予想していた。だが驚いたことに、36時間かけて島々を乗り継いだフライトの後に降り立ったのは、米軍の太平洋の要石、沖縄だった。 

第二次大戦終結より数ヶ月前の1945年春に、米軍は沖縄を占領したが、1949年の共産党による中国掌握やそれに続く朝鮮戦争の勃発よりも以前、米国は、この島の戦略的重要性を確信していたわけではなかった。1952年サンフランシスコ条約は、日本本土の連合国占領を終了させ、アメリカの沖縄占領継続を認めたものだが、これにより島は急速にアジアにおける冷戦の基軸へと転換していった。 

この点を念頭に置いて、1954年、米国は水素爆弾を搭載したF100戦闘爆撃機を太平洋の要衝、沖縄の嘉手納空軍基地に送った。これが、1972年に撤去されるまでこの島に配備された何千もの核兵器のはじまりだった(同時掲載の文章を参照されたい)。

ボードンとホーンがやって来た1961年ごろ(ヘイヴマンは1962年に駐留)、沖縄は依然として第二次大戦の傷を抱えていた。民家は米軍の使い古した木材の寄せ集めで建てられ、海岸には座礁した米軍揚陸艦の残骸が錆び付いて横たわっていた。ボードンとホーンが驚いたことは他にもあった。「ミサイル場はまだ完成していなかった」とホーンは言う。「第1発射場は地面に巨大な穴が開いていた。最初の2ヶ月は華氏100度(摂氏34度)を超える暑さのなか、民間の受注業者を手伝って発射台から地下の管制センターまでケーブルを埋設しなければならなかった」。

1962年ついに、読谷のボロ・ポイントに、沖縄で最初の核ミサイル発射場が稼働した。防水布の下に隠され夜の闇に紛れて、8基のメース・ミサイルが嘉手納空軍基地から東シナ海の向こうに狙いを定めた発射管に装填された。

ローリーからずっと一緒だった7名のチームは、訓練されたとおりの任務に着手した。「島を防衛し、民主主義国家を守り、共産主義の拡大をくい止めるため」、ホーンは皮肉に笑いながら説明した。

かれらの8時間交替制は嘉手納空軍基地のミサイル管制センターでのブリーフィングで始まる。まずその日の天気と、その時点における地政学的な空模様に関する最新情報の確認だった。続いて車でボロ・ポイントへ向かい、到着すると前日当番の護衛から最新のパスワードを受け取る。「『アップル』とか『1324』、『メリーさんのひつじ』のような簡単なものだった。だが時々、護衛が不注意で忘れてしまうこともあった。問題があって護衛犬を放したときなどに起こった」とヘイヴマンは語った。 

セキュリティ・チェックを無事通過すると、ミサイラーたちは発射場に乗り込む。兵員の待機所、ディーゼル発電機の部屋と、嘉手納とホットラインでつながった赤い電話機の備え付けられた発射室の、主として三つのエリアからなり、10メートルほど離れた場所に鎮座する8基のミサイルの周囲で任務に就いた。エンジンを点検し、誘導システムを正確に調整し、安全な手順の訓練、カウントダウンの練習をし、通知があればすぐにミサイルを発射できるようにしていた。

しかし、かれらの指先にある終末論的なパワーの割に、ミサイル発射場での生活は恐ろしく平凡なものだった。時間つぶしに、兵員たちは通信教育課程の勉強をしたり、エンドレスでピノクル[トランプのゲーム]勝負を繰り返した。基地のナイトクラブで見たショーを批評し合ったりしたが、それには(当時は)あまり知られていないバンドとしてシュープリームスの名前も上った。ミサイラーたちには、アメリカの製造業者から新製品の実地テストの依頼もあり、電子レンジがそれだった。ボードンは「ひとつしか設定がなくて、肉は靴の革みたいに、マッシュポテトは中央で四角い氷みたいになって出てきた」ことを覚えている。

ミサイル自体が問題になることは殆どなかった。核の熱風から保護するために造られたバンカー下の巨大な池は、地震や台風の衝撃を受け、地上の同僚たちの神経を逆なでした。 

だが1962年10月の出来事は、沖縄が太陽をいっぱいに浴びた休暇のような任地であって欲しいという望みを粉々に打ち砕いた。「嘉手納で、アメリカ国民よりも数日早く写真について知らされた。その瞬間から、事態は深刻になった」とホーンは語る。

ホーンの言う写真とは、1962年10月14日、キューバ西部を調査飛行中のアメリカの偵察機によって撮影されたもののことである。その画像によって史上初めて、ソヴィエト連邦が国境の外に核兵器を配備したことが明らかになった。全長22メートル、1メガトンの核弾頭が搭載された SS-4中距離ミサイルは、発射から15分でホワイトハウスに到達できた。JFKはこの知らせを自身への侮辱と捉え、フルシチョフを「非道なギャングだ」として、軍上層部に対してキューバ爆撃の計画を立案するよう要求した。
 (図:沖縄におけるメース・ミサイル発射場のマップ)


 (page 2) 
[写真キャプション] 不吉な穴:航空写真から、1960年代初頭、沖縄・恩納村にメース・ミサイル基地があったことが判る。提供、ラリー・ジョンストン。


沖縄に話を戻そう。空軍のミサイラーたちの、写真に対する反応は様々だった。「怒ったり、悲しんだり、落ち込んだり、口を閉じて黙ってしまった者もいた」、ボードンは未公刊の回想録のなかでそう書いている。「みんな起こりうる事態を受け入れたが、受け入れるやり方はそれぞれだったのだ」。

続く数日間、カリブ海とペンタゴンの間で高まった緊張のためデフコン(DEFCON)はレベル2に引き上げられた。「デフコン2とは、15分以内に核戦争の布告がある状態だ、と大佐は言っていた。デフコン1になれば5分以内にミサイル発射もある。恐怖の影がみんなの顔に浮かんだ。私も体から血の気が引いていくように感じた」と、ボードンは記憶している。 

[写真キャプション] ロケット・マン:ミサイラーのビル・ホーン、1962年嘉手納空軍基地にて。「制服の色が好きだった」。提供、ビル・ホーン。 


ヘイヴマンもボードンと同じく恐怖を感じた。「核兵器の訓練を受けていた私は、全世界が大変な危機に陥ると判っていた。アメリカの家族のことを思ったが、助けるために出来ることは何もなかった。戦争になれば届かないと知りつつ母に手紙を書いた。書けば気持ちが落ち着いた」。 

ミサイラーたちの恐怖に複雑に絡まるように、しかし、そこにはプロ的なライバル意識もあり、偵察機の撮影した目の粗いフィルムに映ったソヴィエトのミサイルと自分のメースとを引き比べもした。そして、SS-4は技術的に劣ると結論づけた。さらに、数ヶ月に及んだ厳しい訓練を実行に移す機会が、ついに到来することに興奮も覚えるような、複雑な心境を体験した。

ボードンは語る。「デフコン2に達した後、別のメカニックが1000ドルで私の当番を譲ってくれと言ってきた。給料1年分の大金だった。だが、私はにべもなく断った。私も彼と同じように発射の瞬間に立ち会いたくてたまらなかったのだ」。

この恐怖の数日間、世界の反対側でJFKとフルシチョフに制御不能な事態となれば、ボードンに機会が巡っていたかも知れなかった。キューバ人が米軍偵察機を打ち落とし、アメリカ海軍は機雷を落としてロシア潜水艦を強制浮上させた。事態の展開を聞いて、沖縄のミサイラーたちはデフコン1を覚悟していた。いまだ完全ではない恩納発射場に待機していたヘイヴマンは、事態が悪化したばあい、核弾頭をミサイルへ搭載しつつ発射ドアを防水布で覆う作業を即興的にやらなければならないと言われていた。 

一方、ボロ・ポイントでは、ホーンは48時間も地下に閉じ込められたままだった。「カウントダウンの命令を入れた厳封のキャンバス地のカバンが配られていた。そして嘉手納から発射命令を告げる赤い電話が鳴るのを待っていた。その時が来たら、上官が封を破るだろう。中には三つの別々の命令が入っていて、その後、発射する手順だった。私たちは核の時計が零時を告げる2秒手前にいたのだ」。

  だが、電話は鳴らなかった。 

10月28日、ケネディとフルシチョフは最終的に秘密の取引で妥結した。米国がキューバ侵攻しないことを約束し、トルコでNATO軍の核ロケットを撤去する代わりに、ソヴィエトはキューバから核ミサイルを撤収すると約束した。 

このことが沖縄に伝えられると、ホーンはニアミスの自動車事故に例えた。「その最中にはどれほど接近していたか判らない。道路の脇に立って見て初めて、震えが来るものなのだ」。 

[写真キャプション] デザインのやり直し:沖縄、金武の別のメース基地が1960年初頭の写真に写されている。ミサイル班のパッチは、米国防長官ロバート・マクナマラが「ミサイル」の語の使用を禁じた後、デザインをやり直した。提供、ラリー・ジョンストン。


だが、ミサイラーたちの説明を聞けば疑問が生じる。もしあの電話が鳴っていたら、それらの核兵器はどこを破壊していたのだろうか。

今日まで、3名ともみな、沖縄での経験についてあらゆる質問に喜んで答えてくれた。トイレに使った「ハニー・バケツ」の話に至るまで。だが、この話題では、彼らの口元は堅く閉ざされた。「あなたの原稿の目的のために、ミサイルは予めプログラムされていて、安全保障上の理由から行き先は知らされていなかった、と言えばいいだろう」、ボードンはそう言った。ヘイヴマンは「知らない。知っていたとしても、今日でも、喋ることが賢明だとは思えない」との返事だった。 

ホーンのみが、口に出してはならないことを語る心づもりであった。「確信は無かったが、私たちは、中国のどこかだろうと推測していた」。 

メースの2000キロという比較的短距離の射程では、ウラジオストクを除くソヴィエト連邦全域は届きそうで届かない範囲となる。この技術的データと、ホーンの推測とを考え併せれば、20世紀における米軍情報部の最大の失敗のひとつを説明できる。1959年の中ソ対立について、今日では文書によってよく知られていることだが、ロシアが中国の核ミサイル開発への協力を拒否し、共産主義の将来についてのイデオロギー論争という兄弟げんかも加わって、フルシチョフと毛が対立状態に陥っていた。しかし、ペンタゴンはこの二国が同盟状態にあると見なしていた。この誤認識がアメリカの悪名高い核戦争への青写真を基礎付けていた。「統合戦略計画」、ある政府アドヴァイザーはこれを「全てのアカに対する壮大で総合的で完全な撃破のための戦略攻撃」と呼んでいた。1962年初頭、JFKがこの計画への変更を表面的に装っていたとき、修正案は明らかに嘉手納のミサイル管制センターには伝っていなかった。 

中国とソヴィエト連邦の緊張のため、毛は、キューバ危機が着火するヨーロッパとアメリカのアルマゲドンには加わらなかっただろう可能性が高かった。しかし、沖縄のメースが上海や北京を破壊し、中立の中国で数え切れない多数の市民を殺戮していたとしたら、毛は間違いなく激しく批判しただろう。 

3人のミサイラーたちが中国に照準を定めていたことを語りたがらないのは理解できる。いっぽうで彼らは3人とも、沖縄にミサイルがあるせいで、島が標的にされていたことを認めている。ボードンは「先制攻撃あるいは反撃によって沖縄が壊滅する」可能性を心配したというし、ホーンは「沖縄の人々は人間の盾だった」と信じている。 

ヘイヴマンは、民間人の3分の1が亡くなった沖縄戦のトラウマにあった島の人々について、さらに恐ろしい予想を指摘する。ロシアか中国軍による占領というものだ。恩納のメースに弾頭を搭載する必要があると警告されたとき、彼は同時に、「ジャングル戦に備えて自分たちの装備、ヘルメットやバックパックを準備しておくよう言われた。攻撃軍に制圧されたばあい、核兵器を破壊し発射場を封鎖し、生き残るために出来ることをすることになっていた」。 

皮肉なことだが、カリブにソヴィエトのミサイルが存在することを発表した10月22日のテレビ演説で、JFKはカストロがキューバを「ラテンアメリカで最初の核戦争の標的にした」と非難した。だが今、700万人のキューバ人だけでなく、90万人の沖縄住民が、遠くの超大国のいっそう巨大な駆け引きの質草とされたことがはっきりした。大国の核兵器によって守られるのだと仮定されている人々のことについて、これら大国は関心がなかったことも明らかである。 

沖縄で過ごした日々から50年を経て、3名のアメリカのミサイラーはみな退役し、人類史上最も危険な瞬間に自分が果たしていた役割について考える時間の余裕ができた。 

3名のうち、ホーンが最も後悔している。「私たちは一人前の仕事をまかされたが、ただの子どもだった。アメリカの軍隊マシーンは、欲しいものならなんでも奪いどこへでも行くのが私たちの権利だと教え込んだ。島の人々が私たちの存在や私たちの兵器を望んでいないことに全く気がつかなかったのだ」。 

ボードンは一家の軍人の伝統を永らえたことは誇りに思っている。しかしその後の半世紀で判ったのは、キューバのかつての敵と自分自身とのあいだにある予想外の共通点だった。「私はロシアのミサイラーを憎んだものだった。しかしかれらの体験記録を読んでみると、かれらも私たちと同じ自制心と明晰な判断を働かせていたことが判った。今では、この惑星上で人生を永遠に変えたいと思う人などいなかったことが理解できる」。 

ヘイヴマンはボードンの責任感を共有し、1962年の教訓を未来の世代に受け継ごうという信念を持っている。「最近では、ニュースを見ると、イランの指導者など、核兵器をダイナマイトの棍棒程度に考えている者もいるようだ、あちこちで爆発させればいいんだ。だが自分のなかに何とも言えない気分を抱えて、ときどき泣きそうになってしまうのだ」。


 [沖縄と核爆弾:年表] 
1945 米軍は3ヶ月の戦闘の後、沖縄を占領。
1952 サンフランシスコ条約、戦後日本本土における米主導の連合国占領を終結し、米軍の沖縄統治を認める。
1954 日本の漁船、第五福竜丸、米軍による太平洋での水素爆弾の実験で放射線を浴びる。3000万人以上の抗議署名。米国防長官、沖縄に最初の核兵器を設置。
1956 公選された琉球立法院、沖縄とその他の島嶼からの核兵器の撤廃を要求。
1962 沖縄、ボロ・ポイントで最初の4基のメース核ミサイル場が稼働。
1965 米、沖縄の130キロ沖でU.S.S.タイコンデロガが水爆を紛失。
1966 伊江島住民ナイキ核ミサイルの配備を阻止。
1967 佐藤栄作首相、核兵器を持たない、造らない、持ち込まないの非核三原則。
1968 B-52米戦略爆撃機が嘉手納空軍基地の核弾頭バンカー付近に墜落。
1969 日米密約(現在も施行中と疑われる)、有事の際の日本への核再持ち込みを許容。 1971 ワシントン、沖縄からの核兵器撤去費用を東京が負担するよう求める。米は初めて島に核兵器が存在したことを公的に認めた。
1972 沖縄の施政権が日本に。


 ジョン・ミッチェルはウェールズ出身で横浜を拠点とするジャーナリスト。2011年、ヴェトナム戦争中の沖縄で米軍がエージェント・オレンジを使用したことを調査した記事がもとで、日本政府はこの件についてワシントンに開示を求めると発表、また2012年5月には2つのテレビ・ドキュメンタリの題材ともなった。


20120710

高江から「ヘルプ!」の声

高江にオキボと工事業者がどっさり来て、トラック置いて帰った!大変だー!24時間座り込みの季節です。


●高江に集まって下さい。
-お弁当と飲み物持って。
-お出かけ前に高江blogをチェックして状況確認
-もう絶対に安全運転で。
-短時間でも夜中だけでも、車中泊で昼間の座り込みを支えられます。


そして、やっぱり時間外労働の強要と夜盗のふるまいが防衛局の定番ということなのか。
みんながオスプレイに反対しているのに、どうしてオスプレイパッドを強行工事するのか、どうしても理解できません。ただ黙って座視するわけにはいかない。

●高江は遠いけど抗議や要請で支援できるというばあいの宛先。
1)内閣、防衛省、防衛局に抗議をお願いします。
*沖縄防衛局 TEL 098-921-8131  FAX 098-921-8168
*防衛省 03-5366-3111  *内閣官房 03-5253-2111

2)県知事、東村村長に工事即時中止・建設反対表明を要請して下さい。
*沖縄県知事公室 TEL:098-866-2460 FAX:098-869-8979
*東村役場 TEL:0980-43-2201 FAX:0980-43-2457

3)県議会の新しい会派の電話とFAX
自由民主党  TEL 098-866-2754   FAX 098-866-2773
社民・護憲ネッ ト TEL 098-866-2702 FAX 098-866-2706
県民ネット TEL 098-866-2697 FAX 098-866-2588
日本共産党 TEL 098-866-2756 FAX 098-866-2577
公明党・県民会議無所属 TEL 098-866-2487 FAX 098-866-2583
沖縄社会大衆党 TEL 098-866-2755 FAX 098-866-6495
改革の会 会議室 TEL 098-866-2584 FAX 098-866-2575

4)県議会議員の新しい名簿(会派別)はここ
名前のリンクをたどれば、議員別の連絡先があります。

5)沖縄県選出の国会議員の連絡先(昨年の呼びかけ投稿から貼りつけ)
赤嶺政賢
http://jcpakamine.webcrow.jp/
沖縄県委員会〒900-0012那覇市泊2-4-7
(電話)098-862-6232
(FAX)098-862-6487
http://ojcp.jp/
jcp@akamine-seiken.naha.okinawa.jp
国会事務所〒100-8981東京都千代田区永田町2-2-1衆議院第1議員会館626号室
TEL: 03-3508-7196
FAX: 03-3508-3626
沖縄事務所〒900-0016沖縄県那覇市前島3-1-17赤嶺政賢事務所
TEL: 098-862-7521
FAX: 098-862-7735

糸数慶子
 http://www.itokazukeiko.com/
沖縄事務所〒900-0021 沖縄県那覇市泉崎2-1-5 セントロンビル202
TEL:(098)835-4670
FAX:(098)835-4672 
E-mail: itokazu@i-keiko2007.sakura.ne.jp
東京事務所〒100-8962 東京都千代田区永田町2−1−1参議院議員会館712号
TEL:(03)6550-0712
FAX:(03)6551-0712

照屋寛徳
http://terukan.blog44.fc2.com/ 
国会事務所〒100-8982 東京都千代田区永田町2-1-2 衆議院第二議員会館319号室,
TEL: 03-3508-7069
FAX: 03-3508-3849
沖縄事務所〒901-2212 沖縄県宜野湾市長田4-16-11 1F 照屋寛徳後援会事務所
TEL: 098-896-1810
FAX: 098-896-1819

山内徳信
http://yamauchitokushin.com/
国会事務所〒100-8962東京都千代田区永田町2-1-1参議院議員会館514号室
TEL 03-6550-0514
FAX 03-6551-0514
メール : tokushin_yamauchi@sangiin.go.jp
沖縄事務所〒904-0324沖縄県中頭郡読谷村字長浜1818-4
電話(FAX兼用) : 098-958-6081

瑞慶覧長敏
http://www.chobin.jp/
国会事務所〒100-8982 東京都千代田区永田町 2丁目1-2
衆議院第二議員会館 1013号室
電話: 03-3508-7245
FAX: 03-3508-3515
チョービン後援会事務所〒901-1111沖縄県島尻郡南風原町字兼城715番地103
TEL 098-888-6041
FAX 098-888-6046


玉城デニー
http://d21tamaki.com/
国会事務所〒100-8981 東京都千代田区永田町 2丁目2-1
衆議院第一議員会館1217号室
電話: 03-3508-7284
FAX: 03-3508-3734 
玉城デニー事務所904-2155沖縄県沖縄市美原4-22-12ピュアパルクB-203 
Tel:098-929-2416
Fax:098-929-2005

下地幹郎

島尻安伊子
http://shimajiriaiko.ti-da.net/
国会事務所〒100-8962 東京都千代田区永田町2-1-1参議院会館405号室
TEL:(03)6550-0405
FAX:(03)6551-0405
沖縄事務所〒901-2125 沖縄県浦添市仲西1-1-1JSLビル 1階
TEL:(098)875-1458
FAX:(098)877-0783

7月22日オスプレイダメダメ!サウンドデモ「音のちから」

オスプレイダメダメ!との呼びかけが高江と高江をこよなく愛する那覇から届いた。
7月2日の県内2紙トップを飾ったこの知事発言を、脈略とか正確さとか、そんなつまらないもので切り縮めずに、勝手に自分たちのものにしてしまおうと思っていた矢先の、佳い知らせ。
町は表現のために使おう!町に現場を呼び込もう!
---
オスプレイダメダメ!サウンドデモ
7月22日17:00に県庁前集合
---
詳細はボチボチ、高江blogに紹介されると思う。準備からの参加も楽しいハズ。

20120706

キャサリンさん米国で提訴へ

在日米軍、オーストラリア、兵士の逃げ帰った米本国をしっかりとつないで対抗する人「ジェーンさん」、キャサリン・フィッシャー。
タイムスの阿部岳さんが丁寧な紹介記事を出しています。

「私は一度死んだ。それでも自分を取り戻し、生き返らせ、レイプ・サバイバーだと言えるようになった」

「同じ被害に遭った女性の希望となるために」



ジェーンさん実名公表 性暴力被害から10年『沖縄タイムス』2012年7月6日 11時48分

基地内性暴力、報告書を沖縄の立場から読み直すこと

[追記]Webでもアップされました。
在沖海兵隊、基地内性的暴行67件『琉球新報』2012年7月6日

元になった米軍の統計はここから。
United States Department of Defense, Sexual Assault  Prevention and Responce, Annual Reports
Fiscal Year 2011 (28MB)

DLせずとも便利、scribdにアップしてくれている人がいるぞ。ここからも見られます
(使われている単語のせいか、冒頭で警告が出ます)

この件について報じたStars and Stripesの記事。
Jennifer Hlad, DoD: Number of Sex Assault Reports Holds Steady in 2011, Stars and Stripes, April 13, 2012.

Amanda Wilcox, Report: More Sexual Assaults at Camp Lejeune, Stars and Stripes, July 1, 2012.

ノースカロライナ州キャンプ・レジューンについてまとめた上記記事のなかで、ごくさらっと「日本の在沖海兵隊は67件が報告されており大差ないかたちでこれに続いている。次いでサンディエゴのキャンプ・ペンドルトンが64件」と触れられている。単純に事件の数を並べて基地別にランク付けするのは、軍隊の側の視点でしかない。駐留を抱える地元の視点に立つとどういうことか。新報の記事は、これを「発生率」との考え方に立って作表したわけだ。正確な発生率比較のためには、分母にあたる駐留人員の数が問題になるだろう。もちろん、その問題は新報にではなく、正確な駐留人員を公表しない米軍にある。

また、この数字が氷山の一角であることは、誰でも了解しているだろう。キャンプ・レジューンの担当官は数字の増加について、問題について兵士が報告しやすい環境作りが進んだ結果との見方を語っている。

しかし、沖縄では「氷山の一角」とのコメントには当然、この数字は基地内部の性暴力の統計であり、基地の外の住民に対する暴力はいったいどれほどなのか、という深刻さがまず第一に直観されるのだ。

こうした多くの問題点を指摘するチャンスを切開したこの記事、重要だと思う。継続して沖縄の視点に立った報告書のレビュー連載を求めたいと思います。


27面には、さらにジェーンさんことキャサリン・フィッシャーさんが、米国内で提訴、という記事もある。ぜひとも本紙を入手して読んで下さい。

20120705

僕は昆虫無脊椎、まなこ複眼脳が無い。観察会

高江昆虫観察会のお知らせ

 沖縄県東村高江で昆虫観察会をやります。
 7月22日(日)、8月5日(日)、8月26日(日) 午前10時半~12時
 参加無料
 ガイド アキノ隊員
 昆虫や自然を観察した後、川遊び(足首くらいの深さ)しながら昼食をとります。
 夏休みシーズン、実は暑過ぎて虫はとても少ないのです。。。でももし観察会で高江の自然を気に入ってくれたならまたご自分で遊びに来てください!秋には虫が増えますよッ。
 ※高江の自然を保全する目的の観察会です。観察会以降、(準)絶滅危惧種の採集、乱獲が目的でのご参加はご遠慮ください。
 持ち物 お弁当、飲み物、タオル、帽子
 待ち合わせ場所 高江共同売店の公衆トイレ裏側の砂利スペース(この場所から乗り合わせでの移動のご協力をお願いします。このスペースはバスのUターン地点ですので奥のほうに駐車してください)。飲み物、おやつは売店で購入できます。添付写真を参考にしてください。
 ご希望の方は観察会終了後、高江への米軍ヘリパッド建設反対の座り込みテントへご案内します。20分程度、お話を聞いたり、周りの様子を見ていただけます。
 連絡先 takaenonatu@docomo.ne.jp(アキノ隊員)
 事前申し込みは必要ありませんが、当日天気が不安定な場合は当日朝8時頃にフェイスブックやツイッターのワタシの投稿(どちらもアキノ隊員で検索可能)、メール問い合わせ(朝8時半以降は運転のため応対できません)で決行か中止かの確認をお願いします。
 高江共同売店までは沖縄本島中部からだと高速道路に乗って2時間ほどかかります。時間に余裕を持っておこしください。
 みなさまのご参加をお待ちしています!

-----------------------------------------

おまけ。

20120704

Large US Base Constructionとはこれまた・・・


昨日のQABの民主党国会議員ふたりについての報道、見た? 「これで政権与党には沖縄の国会議員がいなくなった」と説明したあとで、訂正が入ったんだけれど、(キャスターには申し訳ないが)クスっと笑ってしまった人は少なからずいたと思う。心の「いいね!」ボタンをポチッといきました。ひひ。

ちなみに、画像は気になるキーワードで検索をしようとググったところ、勝手に出てくる英語訳のキーワード候補。あくまでGoogleの仕様だが、すごい正確すぎるというのか。

さて。「地元紙で識るオキナワ」の「配備強行なら全基地即時閉鎖」と記者でなく防衛相に言え」というタイトルに賛成。じっさいの第1面は「高江ヘリパッド座り込み5年」の記事のほうで紹介しているのも「いいね!」ボタン。このあと、目取真さんのblog「『全基地閉鎖』という言葉の重さ」、じっくり読んだ。
「知事は自らの発した言葉を、言葉だけで終わらせるのではなく、行動で示して政府の動きを止めなければならない。オスプレイ配備に関し、政府と沖縄の間に妥協はいっさいあり得ないはずだ。」

「県内のメディアはこれまで、くり返しオスプレイの沖縄配備計画を報じてきた。辺野古や高江で基地建設に反対している住民や市民団体も、情報公開を求め続けた。しかし、政府・防衛省・沖縄防衛局は事実を隠し、シラを切り通した。行政として果たすべき説明責任を一切、放棄したのである。」
敢えて言うけど、シラを切り通した当局の列挙の、その末尾に「沖縄の仲井真県政」を加えて欲しい。高江の座り込みの経験から、そのように強調しておきたい。仲井真県政は、なぜ、高江のオスプレイパッド計画に反対しないのか。そろそろみんな、この高江からの問いかけに答える時期ではないかと思う。

そして、理由のひとつには、政府と沖縄県の「妥協」を演出しているスジがあるからに他ならないだろう、少なからずの人がそう考えていると思うのだが、どうだろう。大西照雄さんのblogの指摘「闘いの決意を高江から」も参照。また、改めて目取真さんのblog「オスプレイ配備の宣伝議員」(2012年1月21日)で今年の1月の出来事を再確認しておきたい。

「オスプレイに実際に乗ったことを特権化して、騒音や安全性について日米両政府や米軍・防衛省の思惑に沿った発言をし、与えられた役割を果たしながら、自らの政治的影響力の強化に努めるだろう。基地利権でうごめくこのような政治家の跳梁を許してはならない。」

今年の1月に嬉々としてカリフォルニアまで出かけてオスプレイに試乗し「安全」を連呼した議員が、いったい何枚目の舌で森本防衛大臣のことをとやかく言えるのか、と思うのだが。

どうだろう。
そんなことを考えながら、再び工事再開の7月を迎えた高江の現場に、足を運んで欲しい。