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20120915

NYT社説「沖縄のオスプレイ」


訳してみた。オフィシャル訳が出るだろうけどそれまでの間ご利用下さい。
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社説「沖縄のオスプレイ」『ニューヨークタイムズ』2012年9月14日。
 10万数千人の人びとが日曜日の沖縄に集った。宜野湾市にある米海兵隊基地へのMV-22オスプレイ、トラブルに悩まされるティルトローター航空機の配備計画に抗議するためである。海兵隊は24機のオスプレイをヴェトナム時代のヘリ隊と入れ替えようとしているが、沖縄の人びとは、この数年間で最大規模の反米抗議集会に結果したとおり、怒りに満ちている。

 オスプレイには、巨額の費用で即戦力としては疑わしい典型例という酷い評判がある。だが沖縄の人びとにとってカネの浪費は問題ではない。墜落の危険性を案じているのだ。在日米軍の重圧に苦しんできた多くの住民にとって、この島へのオスプレイの配備は、古い傷に塩を擦り込むような行為なのだ。

 日本へ配備されるオスプレイの最初の12機は、日本政府がこの機の安全性を評価している途中に陸揚げされた。海兵隊によれば、オスプレイの悪評は克服され、安全で信頼できるという。だが、4月にはモロッコで墜落して2人の海兵隊員が死亡した。別の機体が6月にフロリダで墜落した。海兵隊は事故の原因を操縦士の過失としているが、沖縄の人口密集地域の人びとを納得させる説明では到底ない。1950年来、何百件にも上る軍用ジェット機やヘリコプターの墜落と緊急着陸を目撃し、なかには死亡事故も多数あったのだ。

 日曜日の怒りは、24機の航空機にのみ向けられているのではない。沖縄から全ての海兵隊を撤去させようと奮闘してきた島の人びとが、長きにわたって阻害されてきたことに対する苛立ちの現れなのだ。日米は2006年に、普天間閉鎖と数千人の海兵隊員の島からの移駐、残りを人口の少ない沖縄北部東海岸の新しい基地に移転することで妥結した。だが、多くの沖縄の人びとにしてみれば、この合意は不充分であったし、じじつ普天間はどこへも動かなかった。9千人の海兵隊員を移駐する今年4月の取り決めも頓挫している。

 あまりにも長きにわたって、沖縄の人びとは実効性を伴わない空手形ばかりを見せられてきた。米国は沖縄において、少し足音をたてないような歩き方をする義務があるし、住民の気持ちに耳を傾けなければならない。それはオスプレイをとこか別の場所へ持って行くことから始まる。
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