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20121106

大野光明「拒否が切り開く<政治>」

大野光明「拒否が切り開く<政治>:煽られる東アジアの「緊張」のなかのオスプレイ配備をめぐって」『情況』2012年9/10月合併号(2012年11月)。
沖縄で発せられた声への応答、返歌のように響き合う文章。ご紹介します。

  「私は、オスプレイ配備をめぐる沖縄、そして各地での「拒否」の声に、沖縄の構造的差別に基づく政治体制を乗り越えていく力があるように思える。「留保なき拒否」は、オスプレイが安全か危険かという切り縮められた位相ではない、別の<政治>を作動させている。」
 「日米両政府の「安全性」とは、そもそも虚飾であるだけでなく、高江の人々を「安全」なるものの対象から切り捨てているのだ。日米両政府の安全宣言とは、二重、三重の虚飾によって、そして虚飾によって生み出される暴力によって、成立しているといえよう。」
 「ゲート閉鎖・占拠の現場からは、警察や機動隊の暴力にさらされながらも、活き活きとした言葉が発信されており、胸を打つ。」
 「7月に京都で行われた防衛省事務所前での座り込みのあと、主催者は提出した抗議申し入れ書の回答を得ようとしたところ、京都防衛事務所長から次のような「回答」を受けたという。」
[引用されている報告は、blog「高江・辺野古に軍隊を押しつけたくない!京都・緊急デモ」のレポートで読むことが出来ます。]
 「破綻し続けている民主主義を覆い隠すために、排外主義的でナショナリスティックに、国の「危機」が煽られ、基地・軍隊が必要だとする前提が再生産されている。安全保障政策は、国の独占分野であるかのような認識枠組みが強化されている。そのことによって、私たち一人一人は、沖縄への関心や経験の分有の機会を奪われていく。さらには、アジアでの戦争責任や植民地主義の歴史を分有する機会も同時に奪われているだろう。基地・軍隊が(沖縄に)あることを前提とした国家安全保障は、常に、既に、私たちと沖縄、そしてアジア諸国とを分断し続けているのだ。」

※この論文で採り上げられた参考文献のうち以下は、リンクをたどって読めます。
●新崎盛暉「反対運動、次段階へ」『沖縄タイムス』2012年9月20日。
 →高江blog「高江」を置き去りにしない声
●大野光明「大飯原発ゲート占拠。封鎖という『希望』」『インパクション』186号(2012年9月)。
 →元になった文章はblog「大飯原発ゲート占拠・封鎖」2012年7月5日の記事です。
●沖縄平和市民連絡会「みなさまへ」
 →辺野古浜通信blogの2012年9月29日の記事
新城郁夫「『留保なき拒否』を」『沖縄タイムス』2012年9月21日
新城郁夫「基地県外移設論を超えた争点を」『けーし風』第75号
●鳥山淳「『安全確認』は詭弁」『琉球新報』2012年8月30日。
 →高江blog「高江を容認することはオスプレイ容認につながる」