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20150409

佐久間さんの一周忌に、辺野古の奇妙な対立

佐久間さんの一周忌でした。その彼が、高江N1に来るまで、ずっと立ち続けたキャンプ・シュワブのゲート前。そのような気持ちで訪れた現場は、夕刻から奇妙な混乱の中に投げ込まれることになりました。写真日記風にまとめてみたいと思います。

17時半ごろ
辺野古の工事用ゲート前歩道が白いナイロンカバーの付いた鉄柵で覆われました。警察・機動隊が集まり始め、得体の知れない作業が始まろうとしています。




18時半ごろ
夜間の道路工事などでよく見かける白い大きな提灯のような投光器がすでに出て来ており、夜間の作業を行うことが明らかでした。白柵の向こうでは、単管を3階建てに組んだものに緑のネットを取り付けた構造物が何セットも、トレーラーで運び込まれてきました。
「歩道を封鎖していったい何を始める気か。説明せよ」と、座り込みの人々が白柵の外側から尋ねています。

18時半ごろ
回答するかわりに、機動隊員が次々と増員されました。「やあっ」と号令を掛けながら駆け足で登場するチーム。





18時半ごろ
白柵の基地側に、高い足場に乗って状況を見渡す機動隊の指揮官。白柵の道路側から山城博治さんが、状況を説明せよと求めています。指揮官の左側に、延長ポールを付けたデジビデを構える警察。奥の土手の上にも警察の撮影。この写真には写っていないが、様子を見に来た米兵の姿も見られました。

この後、「民間地側である歩道に、説明もなく不明なものを設置する許可はあるのか、警察はそのような違法な作業の警備をすることは許されるのか」と問いかけ、相応しい説明がなされるまで、工事作業は中断するよう要求。警察を通じて、防衛局からの説明を求めました。19時過ぎまで待って、説明が得られなければ「私たちも行動しましょう」との確認が現場に集まった人々に向けてなされます。

しかし、依然として作業は止まらない、説明はなされないという時間が経過し、白柵に詰め寄る市民と機動隊の間には押し合いが複数箇所で始まります。市民側も機動隊側も双方が「冷静に冷静に」と言いながら押し合いへし合い。

19時15分ごろ
ゲートに向かって右側、南側の端のところに、防衛局の担当者らしき人物が現れました。殆ど聞き取れない小さな声で名乗り、小さいメガフォンを持って、片手には文書を持って、何かの足場に登って、白柵から頭だけ出して、その文書を読み上げるばかり。
 山城さんが歩道を封鎖しているが、使用許可は受けているのか、と尋ねると、防衛局員は4月6日に申請し7日に許可を受けたという内容の文書を読み上げました。その書面を提示するように求めたものの、これには応えず。全く見当違いの箇所を再読したり、対話が成立しません。
 次に山城さんが税金を使った公共工事で、目的や内容、発注者を明示した案内板、掲示がないのはどういうことか、尋ねました。これに対して防衛局員は「説明の必要はないと、認識しております」などと回答しました。

19時半ごろ
市民に対する説明がないことを受けて、座り込みに入りました。みんなで道路に細長くなって機動隊員に向き合い、違法性の高い作業が進行していること、法を遵守すべき警察がこれに加担していることに抗議しています。紅白のコーンのそば、機動隊の列を背に帽子を被って状況説明している山城博治さん。機動隊の背後の白柵には、投光器に照らされた作業員の影が映っているのが判ります。作業の間中ずっと、この白柵には工事作業員がずらりと並んで張り付いて立たされていました。鉄策の「補強要員」といった趣向でしょうか。賃金さえ支払えば労働者にはどんな仕事内容でも命じて恥じない傲慢な事業主の国と使役される県民。

許可は取ったというばかりで書面を見せず、工事の標示の必要もないという防衛局員の責任者対応を受けて、次に機動隊と警察に対して、この状況をどう判断するのか、意見を求めました。警察側も現場の責任者数名が集まって携帯電話でやり取りをしながら対応を検討している様子が見受けられました。

20時ごろ
座り込み市民、機動隊、警察らがみんなゲート前で対峙している中、ゲート南側の端に再び防衛局員が現れて、誰も居ないところに向かって何やら話し始めます。みんな「おいおい、誰も聞いてないぞ、大丈夫かキミ」と言いつつ話を聞きに行きます。しかし内容は、先ほどと同じ文書をくり返し読み上げるばかり。防衛局員の背後で延長ポールのデジビデを構える警察。土手の上からも警察が撮影をしているのが見えます。その奥には、アルソック警備員の詰め所として使われているコンテナが見えます。


20時50分ごろ
その間も作業は停止されることなく続けられ、座り込み市民と対峙する機動隊、警察も困惑。警察から山城博治さんへの直談判のような奇妙な構図に。




21時ごろ
みたび目の防衛教員登場。ゲート南側の端、白柵の内側から隠れるようにして、小さな声で話している姿が投光器に照らされ白い幕に影が映っています。「手出しをするわけではないのだから、出て来てみんなの前で話してごらん。謝罪があるなら、みんなの前に出てきてお詫びしないと意味がないだろう」と説得する山城博治さん。頭上には警察の延長ポールデジビデ。
 ゲート前に戻って、彼が出てくるのを待ちましたが、この後、ついに防衛局員は姿を現すことがありませんでした。

21時ごろ
ますます困惑する警察側の現場責任者たち。
現場の混乱を適切に判断して収める権限も判断力も持たされていない国側「責任者」不在のなかで、市民も警察も作業員も巻き込まれていく様子が露わになっていました。



21時40分ごろ
説明をせず、対応を引き延ばして作業だけを進め、作業終了。警察側の投光器は角度を変え、座り込み市民ではなく、完成したネットの衝立を照らし出しています。




出来上がった緑ネット付き衝立はギザギザ鉄板の周囲を囲むような位置に立てられているようです。このほか、蛇腹式のゲートを青色のネットで覆う作業も行われていました。

 以上。写真と記憶から再構成した昨夜の現場。やや不正確なところもあるかも知れません。また、部分的にしか見ることが出来ないので、全体像は把握できていません。別の場所からは別のことが見えていたでしょう。

知る権利の剥奪
 税金を使って発注された公共工事には、それなりのルールが定められているものです。工事の目的・内容・発注者・受注業者などを明示した看板を公衆に向けて掲げなければならないのもその一つで、「書面を見せなさい」との要求は、目の前で進行中の作業がこのような条件に適うものかどうかを判断する根拠資料を求めているわけです。これは市民の大切な「知る権利」です。これが棄却・黙殺されました。警察はそうと知りながら国側を警備し幇助したことになります。

国の責任者不在、国の機関における公務員のパワハラ
 物陰に隠れながら手にした文書を読み上げるだけの人物は「責任者」の役割を果たしていません。そのような人物を、現場に残して帰ってしまった(あるいは中に潜んで出てこなかった)沖縄防衛局の監督責任は重大です。責任者は、まさに、現場での問い合わせやトラブルに対応するために必要なはずです。対応できない人物は責任者とは呼べない、そのような人物を責任者とした監督責任は沖縄防衛局にあります。
 そのような責任を果たせないと知りつつ、あるいは現場で判断する権限を与えず、昨夜のような職員を敢えて現場に残したならば、当該の防衛局職員に対するパワー・ハラスメントも疑う必要があるかも知れません。

労働基準はどうか
 夕刻からの工事は予め計画されていたのでしょう。夜間工事の投光器が準備され、通常では考えられない作業員数(白柵ウラ側にずらりと並んで立たされた人たちなど)が確保されていたことを見れば判ることです。税金を使う公共工事で、夜間の時間帯に行うというのは、その必要性がなければ通用するものではありません。
 このような作業を抗議行動の目の前で夕刻から行えば、現場が混乱することは、容易に想定されたはずです。白柵で現場を封印したのは、混乱を予想したからに他ならない。おまけに、膨大な数の警察の警備を巻き込んで行われたものです。機動隊は、結果的に増員されたのではなく、予め多人数で待機していました。
 このような作業を強行することは公共工事の基準に照らして、労働基準に照らして、どうなんでしょう。誰が監督官庁の役割を果たすのでしょう。

闇討ち国家
 権限を持たされていない人物を矢面に立たせて、現場判断を宙づりにし、誰も責任を取らないのに「国の命令」だけが一人歩きしていく。警察組織は意味も判断も棚上げにしてここではただの警備員と化してしまう。「法治国家にあるまじきことだ、情けない」との声が度々発せられていました。この奇妙な対立構図を、だれも止めることが出来ない、その構造が深刻な問題でしょう。
 夜警国家とは聞いたことがあるが、これはさしずめ「闇討ち国家」です。このような闇討ち行為が、辺野古と高江をめぐって本当に何度も繰り返されているわけです。

 柵で囲って勝手に工事を進める様相に、ガザという言葉が脳裏に浮かびました。小さく柔らかく目立たない規模で、しかし、同じことが進行している。最終段で、蛇腹式ゲートに設置されたのは電流を流す装置らしいとの流言が飛び交いました。「まさかそこまで」と言いつつみんな憤ったのは、この国はそこまでもやり兼ねないという予感をそこにいた人たちはみんな感じ取っていたからなのだろうと思います。

長期化している辺野古のゲート前の、ほんの数時間を切り取ってみただけですが、微妙で微弱であっても、国の強迫的な電流が走っていて、そのような日々が積み重なっていく。座り込む人たちにも、機動隊にも、防衛局職員にも、押し潰されるような経験として折りたたまれていくのです。