1997年1月25日 東村高江区「ヘリポートを東村に誘致することに反対」区民総会決議(*1)。
1998年12月25日 高江区、区民の意見を踏まえずヘリパッド建設容認した宮城茂東村村長(当時)に対して抗議。
1999年10月26日 高江区区民総会決議「水道と引替えにヘリパッドの移設は認めない」等4項目(*2)、臨時総会を開催し全会一致決議。
2006年2月23日 高江区区民総会、ヘリパッド建設反対決議(2回目)(*3)。
2006年3月23日 東村議会、住宅地域、県道70号線、ダム湖面から遠距離へ着陸帯予定地の移動を要求する決議。
2006年7月31日 高江区長と代議員、沖縄県と那覇防衛施設局(当時)に対して、ヘリパッド移設見直しを求める要請。
2007年1月22日 高江区長と区民代表が、沖縄県知事に対し防衛施設局の法に基づかない環境評価に対して意見を提出する前に現地を視察し住民と話し合うよう要請。
2010年6月10日 大宜味村議会、東村高江地区へのヘリパッド建設に反対し、北部訓練場の無条件返還を求める意見書を可決。
2014年3月19日 大宜味村議会、高江のヘリパッド建設に反対し北部訓練場の無条件返還を求める意見書を可決(2回目)。
2015年2月23日 東村議会、ヘリ新着陸帯使用禁止決議(*4)
2015年6月29日 東村議会、オスプレイ飛行禁止と撤去を求める意見書・決議を可決。
2016年7月21日 沖縄県議会、ヘリパッド建設に反対し建設中止を求める意見書を採択(賛成多数)(*5)。
(*1)「ヘリポート」とは、後に現在の辺野古案となる普天間代替施設のこと。高江はSACO合意に示された普天間飛行場の県内移設先候補地となりかねない状況で、区として即座に反対決議を行っている。
(*2)1.水道と引替えにヘリパッドの移設は認めない、水道は受け入れ条件ではなく行政の責任、2.訓練する航空機が民家上空を飛ばない取決めを要請、3.受け入れ表明した隣接村は騒音被害の処理等を隣接村内で行うべきで高江に被害をもたらさないこと、4.振興策を条件に受け入れ表明した村長への抗議の、4項目。
(*3)2006年2月9日、日米合同委員会の発表で、ヘリパッド移設予定地とともに、G地区歩行訓練ルートの新たな追加が判明したことを受けている。
(*4)先行提供されたN4の2基のヘリパッドを指す。
(*5)与党3会派26名が賛成、野党の沖縄・自民15名が反対、中立の公明・維新の6名が退席した。
「地元は容認している」。この日本政府の側に立った認識が、どれほど住民を傷つけてきたことか。
伊集盛久東村村長は、最初の村長選挙立候補の際に予定地反対を表明しながら、無投票当選した後すぐに容認に転じた。その後も「2割を犠牲にして8割を生かす」「造らせておいて使わせない協定を結べば良い」など、不明の発言を繰り返し、後日謝罪や撤回もしてきた人物だ。今回、「工事は安全確保して進めて」「オスプレイは安全が確認されるまで容認できない」と、県議会議員の同席する場で語ったことが報道されている(「沖縄・高江ヘリパッド 地元の東村長、建設容認を再表明」『沖縄タイムス』2016年7月21日 08:08。)。6月の昼夜を問わない激しいオスプレイ訓練による被害を認識していながら、オスプレイが現に使用する着陸帯の工事は容認だという。常人には理解し難いが、「よく矛盾と言われる」との当人のコメントまで記事になっている。
発言が矛盾する人物に、自治体の村長としての職務を任せてよいのか。東村民は有権者として真剣に考えるべきだと思う。それはおくとしても、苦笑を誘うようなニュアンスで片付けてすむことではない。まさにこの問題で、やんばるが今日、日本から派遣された治安維持軍と言うべき機動隊に制圧・封鎖されている。その責任は建設を「容認」した伊集村長が引き受けることが出来るのか。N1地区に向かう山道の管理権を防衛局に易々と譲り渡した沖縄県森林管理署はどうか。行政の責任を厳しく問い質した形跡が見えてこない。
「訓練場の過半の返還は整理・縮小、負担軽減になる」と言うなら、これまでなぜ返還を進めてこなかったのか。高江住民は返還に反対しているわけではない。問題は残る訓練場の機能強化・訓練激化にあるのであって、求めるべきは、なぜ更なる基地機能強化に賛成するのか、なぜ高江区を犠牲にするのか、これに対する回答だろう。県議会決議に反対した自民党会派も、伊集村長も、これを説明する責任がある。説明責任とは、矛盾して意味不明な内容であっても何かしら語れば済むというものではない。議会も報道もしっかり追求し自らの説明責任能力を全うして頂きたい。
前置きが長くなった。
ついに沖縄県議会がヘリパッド建設反対決議を可決した。ようやくここまでか。でも、ともかく、たどり着いた。高江区が最初に沖縄県へ要請に行ってから10年、座り込みが始まってから9年。県政野党が多数議席に転じた県議会で、初めて辺野古新基地建設反対決議を可決した2008年6月18日から8年、2012年オスプレイ配備に反対するオール沖縄建白書から4年、翁長県政誕生から1年半。よくここまで議会政治に黙殺されてきたものだと思う。それでも闘うことをやめなかった、沖縄県への取り組みをやめなかった高江の皆さんの成果に他ならない。また注目すべきは隣村、大宜味村議会の取り組みだろう。県内市町村はぜひこれに倣って欲しい。
その感慨深い日に、N1予定地の山を日本の機動隊が占領軍のように制圧し、辺野古基地建設をめぐって日本政府は再び沖縄県を提訴した。喜んだり悲しんだりするよりは、確認する日にしたい。冒頭に挙げたのは、地元住民の反対が公的な決議としてどのように積み重ねられてきたのか、その年表です。