返還面積だけ強調して「負担軽減」と騙る日本政府の主張は、ここで暮らす地域の人びとにはまったく額面通りに受け入れることができない。返還部分を国立公園指定しても、自然保護の美名の下、結局、国のものとして奪うことに変わりがない。憲法も人権も尊重しない政府に、自然保護を任せることが出来ると安穏できるような経験は、残念ながら沖縄の歴史に、そして現在の沖縄にもない。
なぜ、北部訓練場をまだ半分も残しておくのか。そう問うべきだ。
改めて高江のヘリパッドマップを見ながら考えたい。これは「ゆんたく高江」が、高江の座り込みテントのために制作して下さったもの。非常に判りやすいうえ、宇嘉川河口と水域の提供部分も、超低空飛行の地形飛行訓練ルートも、図示されている。宇嘉川河口におけるオスプレイを使用した上陸作戦訓練という視点は、高江で座り込みが開始されるとき、まさに私たちが「知ること」を力にして高めた危機意識だった。真喜志好一さんの「沖縄はもうだまされない」サイトを参考されたい。
そもそも、沖縄島唯一の周回道路の一部である県道70号線は沖縄島の重要な経済動脈なのであり、1972年の施政権返還時に返還されなかったことは「復帰処理」の積み残しというべき県政の課題だった。「共同使用協定」という形でお茶を濁すのではなく、最優先で返還対象となるべきだったのであり、1996年はその極めて重要な契機だったのではないか。あるいはなぜ返還後も残る訓練場は脊梁地帯に沿うように北側に奇妙に細長く残すのか。
1996年の「半分返還合意」は、北部訓練場に上陸訓練用の水域を拡大し、米本国では規制が厳しく住民調停が難しい超低空の地形飛行訓練を野放図に実施できる脊梁地帯を手放さないという海兵隊の意向に沿った、訓練場の拡充計画だった。20年が経過し、オスプレイが配備された今日、当初の懸念は全く正当だったことが明らかだ。さらに、20年を経て、米軍の都合だけではないことがリアルに迫ってきている。自衛隊による、外国軍を含めた共同演習の狙いを考えれば、今回の機動隊の行動は、この大規模演習を想定した北部やんばるの封鎖演習に見える。
「負担軽減」がアピールになるというマジックワードは、沖縄ではこの20年で賞味期限が切れた。いまさら「半分返還」程度で感謝されると思い込んでいるのは、@@の####くらいなものだ(伏せ字箇所にはあなたの好きな言葉を入れて下さい)。いまだに「沖縄の負担軽減」という語をよすがに、SACOの亡霊に囚われているのは誰だ?