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20170212

手紙を書こう

 先日、沖縄タイムスが手紙を綴るように社説を発表した。これを個人的な情に駆られた文章と読む人は、沖縄の実情が理解できていないのだろうと思う。差出人は「辺野古から」となっていて、実は文章の大半は現場の取材に基づいた具体性と公共性の高い視点を提示している。
 また、反対する市民たちを「不在の穴をみんなで埋め合わせているような」と描写するその表現に、権力がどんな手段を使って黙らせようとも「不在」にすることなど出来ない声を、活字にして送り出すことの重要性を知る新聞社の精神を見たと思った。

 声を活字にして送り出す役割を担った人たちが、他にもいる。沖縄国際人権法研究会と反差別国際運動(IMADR)は、国連人権高等弁務官事務所に、「沈黙させられる沖縄の声」という手紙を出した。
http://imadr.net/jointreport_okinawa_2017/
http://imadr.org/japan-silencing-the-voices-of-okinawans-3feb2017/

この報告書の圧巻は、資料として添付された辺野古と高江の弾圧の一覧表である。日本政府が、米国と合作して国際社会に対して隠し黙らせようとする沖縄が、「不在」を超えるためには、翻訳という作業がどうしても必要だ。これからも。

 誰かを励まし支えようとする手紙は、このように広く開かれることによって、その宛名の人以外の、宛てられていない人をも鼓舞するものだ。私は差出人としても、名宛て人としても、その手紙を受取り、あるいは送り出すことが出来るから。このブログ投稿のタイトルを考えながら、「手紙を書こう」という永山則夫の詩を高田渡が歌った歌があったなあと、思った。ここからでは歌の差し入れはできないから、詩の冒頭を引用してみる。

  「宛名のない手紙を書こう
  いつまでも世の中をぐるぐる廻りして帰らない」

言葉を手がかりにして歌が、アタマをぐるぐる廻り始めただろうか。

そうそう。刑法学研究者からの「解放せよ!」論壇投稿を先日紹介したが、もう少し詳しく説明した文章が出たので、これもぜひ読んで下さい

森川恭剛「山城博治議長の解放を:不正は刑事司法の側にある」『世界』2017年3月号

この物々しさと隣り合わせの日常を送る人々は自問する。「沖縄だから基地を置いてもよい」と考えるような人はいないと思いたいのに、この痛ましさはなぜなのか、と。

法理によって正解を導こうとする硬質な文章に突如差し込まれた「この痛ましさはなぜなのか」。これも、不在の声を間違わず拾い上げた手紙として、矛盾に対する激しい怒りと痛ましさを抱く世界中の人々に向けて、送り出されたのだと思った。

前置きが長くなった。手紙を書くように新聞論壇へ投稿する「解放せよ!」プロジェクト(と勝手に命名してみた)。続きを以下に紹介します。これも宛名のない手紙のように、思わぬ人にも届くよう願いながら。皆さんもぜひ!

阿部小涼「(論壇)国家に捕らわれた良心/自己決定権実現の砦に」『琉球新報』2017年2月7日。




阿部小涼「(論壇)すべての抗議者解放を/高江・辺野古 国の不当な拘束」『沖縄タイムス』2017年2月12日。